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医療現場で起こっていること

ヒューモニー特別連載

第83回 「自宅放置死」遺族の声

2022年05月23日 掲載

スピーカー 讃井將満(さぬい・まさみつ)教授  

新型コロナウイルス感染症の感染極期には、入院できずに自宅で命を落とした方が少なからずいる。なぜ、そのような事態が起こったのか? 今後に生かすべき教訓は何か? 「自宅放置死遺族会」を設立した遺族の率直な声を、讃井教授が訊いた。

2020年4月――新型コロナウイルス感染症の第1波極期に、埼玉県内で自宅待機中だったひとりの新型コロナ患者が亡くなりました。それを機に、私は一医師として何かできることはないかと考え、県調整本部(各保健所が管轄内の病院で対処できないときに、管轄をまたぐ入院調整を統括する機関)で入院調整のお手伝いをするようになりました(第1回第2回参照)。しかし、われわれが全力を尽くしても、その後も自宅療養中に亡くなる方をゼロにすることができず、忸怩たる思いを抱いてきました。

今回は昨年9月に設立した自宅放置死遺族会の共同代表、高田かおりさんと西里優子さんにお話を伺います。率直なご意見をいただき、今後の医療体制の改善に役立てたいからです。同時に、ややもすると新型コロナ感染症の緊張感が薄れてきている今、医療従事者も行政も社会の皆さんも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とならないよう、「何があったのか」を伝える必要があると思うからです。

*   *   *

讃井 高田さんは弟さんが、西里さんはお父様がご自宅で亡くなられました。まず、その経緯からお聞かせください。

高田 私の弟(43歳)は沖縄に単身で住んで居酒屋を経営していました。

昨年の8月10日、大阪府警を通じて沖縄県警から弟が亡くなったという連絡が突然入りました。「なんで?」と思いました。弟とは7月20日過ぎに電話をしていて、その時は元気だったからです。警察の人には、「なにかの間違いです」と言いました。ですから、弟が亡くなった経緯は、保健所の担当者の方から聞いたものになります。

7月27日に県のコールセンターに症状を訴えており、その日が発症とされています。その後、8月4日朝のPCR検査の予約が取れて、自分で車を運転してクリニックに行きました。5日夜に陽性であるとクリニックから電話があり、その時にお医者さんの質問に対して、「熱は38度台で咳があるけれど、息苦しさはない」と答えたそうです。お医者さんからは、保健所にはクリニックから連絡するけれども、本人からもFAXを入れるようにという指示があったようです。

讃井 FAX…ですか。

高田 この時代にFAXというのはどうなんだろうと疑問です。弟の店にはFAXはありましたが、自宅にはなかったので、どうやって送ろうとしていたのか…今となってはわかりません。

6日の夜、FAXが来ないので保健所職員が弟の携帯に電話をかけたところ、弟は出ませんでした。7日の夕方、8日の朝に再度電話したけれど弟が出なかったので、保健所職員は自宅を訪問しました。鍵がかかっていたので警察・管理会社に連絡し、15時に部屋に入って遺体を発見したそうです。死亡検案書では、7日の午前から午後にかけて他界したとなっています。

高田かおりさんの実弟、故・竹内善彦さん(写真:高田かおりさんご提供)

讃井 亡骸にお会いできましたか?

高田 いえ。警察から、「感染予防のため会うことはできない」と言われました。沖縄にいる弟の友人達がすべての手続きをしてくれて、お骨を大阪の私のところに送ってくれました。

讃井 西里さんもお願いできますか。

西里 私の父(73歳)の場合は家庭内感染でした。両親はふたりで埼玉県内のマンションに住んでいて、昨年8月4日に最初に母の感染がわかった時に、父は高齢で基礎疾患があるから隔離のために母を入院させてほしいと病院にお願いしました。でも、病院が決めることはできないそうで、「保健所からの指示を待ってください」と言われました。結局保健所から母に連絡が来ることはなく、その間に父が家庭内感染してしまいました。8月7日に咳などの症状が出て、個人クリニックでPCR検査を受けたところ8日に陽性と確認されました。

讃井 どのような基礎疾患があったのですか?

西里 高血圧でふだんから薬を飲んでいました。3年前には、大動脈解離の手術を受けています。

ですから、陽性とわかった時に、クリニックに「基礎疾患があるので入院させてほしい」とお願いしました。でも、ここでも「保健所からの指示を待ってください」と言われました。

父の病歴からすれば入院できてもいいはずなのですが、最後まで入院調整がかかりませんでした。クリニックから保健所へ送られた診断書に「基礎疾患がない」と間違って記載されてしまった上、翌9日の保健所からの電話でも基礎疾患の確認がなく、軽症と判断されてしまったからだと思います。それで保健所の手から離れて、軽症者が扱われる支援センターというところが担当するようになったと後から聞きました。その後、保健所からの連絡はありませんでした。

死亡当日の13日は本当に苦しかったようで、お昼頃に母が救急車を呼ぼうと119番しました。でも、陽性者への救急車の手配は保健所がするそうで、20分ほどして保健所から電話があり、入院は見送られました。

16時半に電話をすると、「それぐらいの症状なら大丈夫だって、入院させてもらえなかったよ」と父は言っていました。そして、「食事ができないからゼリーを送って」、「うん。じゃあ送るね」。…それが父との最後の会話でした。

その3時間後、母から父の様子がおかしいと連絡があり、私は急いで実家へと向かいました。実家に着くと、ちょうど父が救急搬送されるところでした。でも、足を触ると冷たかった。その後、搬送先の病院で死亡が確認されました。感染予防のため遺体には会えず、私自身も濃厚接触者だったので火葬にも立ち会えませんでした。

西里優子さんの実父、故・西里昌徳さん(写真:西里優子さんご提供)

讃井 そのような形でご家族を亡くされて、どのように思われましたか?

高田 事情を伺った保健所職員は、とても良い方でした。医療現場だけでなく、保健所も逼迫していたのもわかります。それでもやはり、「なんで? なんで弟はほっとかれたの?」と思います。その憤りを誰かにぶつけたいというのが正直なところでした。

西里 「運が悪かった」、「仕方がない」と言う人もいます。でも、入院して適切な医療を受けさせてあげたかった。その上で亡くなったのなら、そこで初めて「仕方なかった」と言えるのだと思います。父がただ無意味に死んだと思えてきて、それがすごく悔しくて、そのやり場のない怒りをツイッターにぶつけるしかありませんでした。そのツイッターを見たある人が、高田さんとつなげてくれました。

讃井 そこで自宅放置死遺族会を設立しようということになったのですね。

高田 西里さんとたまたま出会って、「きっと私たちと同じ思いをしている人がいる」という話になりました。そこで、やり場のないゴールの見えない悲しみの中で何かできることがあるのではないかと考え、遺族会を立ち上げることにしました。

大きな目的は、遺族間の交流によってで悲しみを軽減すること、情報を共有することです。そして何より、私たちの事例を過去から学ぶ教訓として今後に活かしてほしいと願っています。医師と弁護士に入ってもらってそれぞれの事例検証をし、それを提言としてまとめて国や行政に届けられるよう活動しています。

西里 なんで遺族自身が検証しなければいけないのかという思いはありますが、国が動いてくれないなら自分たちでやるしかありません。その時に、ひとりだとできないことでも、同じ思いを抱えている人が集って意見を出し合える場があれば、前へ進めます。そういう環境にしたいと思います。

それに…遺族って孤独なんです。悔しい思いをひとりで抱え込んでしまっている。でも、その悔しさを気軽に話せる場がありません。そんなひとりで抱え込んで苦しい思いをしている人にとって、心のよりどころが必要なんです。

讃井 今後に活かしてほしいこととして、どのようなものがありますか?

高田 もっと簡単に直接医療とつながれるような体制、柔軟に対応してもらえる医療体制を作ってほしいと思います。コロナに罹って不安になった時、患者がつながりたいのは保健所ではなくお医者さんです。肝心かなめの時に医療とつながれないことほど不安なことはありません。

そのように改善してもらえたら、それが私たち放置死遺族会のゴールになるのだと思います。私たちは誰かに謝ってもらうことを望んでいるわけではありません。誰かの命に活かされる――家族の死が無駄じゃなかったと思える結論が出れば、私たちが一歩進むための区切りになるはずです。

遺族はどこかに怒りをぶつけないとやっていられない面もありますが、ぶつける先を間違えたらいけないと思っています。実際、現場の医療従事者や保健所の方々は、それぞれの立場で一生懸命やってくださっていて本当に感謝しています。誰かを非難したり責めたりするのではなく、納得できるゴールを目指したいと思っています。

讃井 そう言っていただけると、心の重荷が少し軽くなります。ご提言いただいた医療体制を実現できるよう尽力したいと思います。ありがとうございました。

*   *   *

医療従事者は、死亡や合併症の発生をできる限りゼロに近づけるべく、日々努力しているわけですが、地域という視点で見ると、個々の医療従事者や医療機関の努力だけでは、この目標の達成は叶いません。医療機関や行政の連携によって、ニーズの多寡に応じたフレキシブルな医療資源の配分を図り、”適切なタイミングで適切な医療機関にアクセスできる”システムを構築する必要があります。もちろん、このシステムは持続可能である必要があり、効率性も求められます。

このような効率の良い地域医療連のためには、”関係者が必要な患者情報をタイムリーに、ストレスなく共有できるシステムの構築”が前提と言えるのではないでしょうか。残念ながら、地域における効率の良い診療情報共有は未熟で、コロナ禍という医療ニーズが一気に高まる状況で、この弱点が露呈したと言えるでしょう。

重症患者が減少した今こそ、”適切なタイミングで適切な医療機関にアクセスできる”システムを作るために、地域における効率的な診療情報共有を進めるタイミングと言えます。高田さんのおっしゃる「もっと簡単に直接医療とつながれるような体制、柔軟に対応してもらえる医療体制」に一歩でも近づくために、まずは関係者の意識改革が求められているのではないでしょうか。
(4月14日鼎談 構成・文/鍋田吉郎)

 

※ここに記す内容は所属組織・学会と離れ、讃井教授個人の見解であることをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。

 

連載第84回は66日掲載予定です。

鍋田吉郎(ライター・漫画原作者)

なべた・よしお。1987年東京大学法学部卒。日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。

■ヒューモニー特別連載 医療現場で起こっていること

写真/ 讃井將満、ブルーシーインターナショナル、ヒューモニー
レイアウト/本間デザイン事務所

スピーカー

讃井將満(さぬい・まさみつ)教授

自治医科大学附属さいたま医療センター副センター長・ 麻酔科科長・集中治療部部長

集中治療専門医、麻酔科指導医。1993年旭川医科大学卒業。麻生飯塚病院で初期研修の後、マイアミ大学麻酔科レジデント・フェローを経て、2013年自治医科大学附属さいたま医療センター集中治療部教授。2017年より現職。臨床専門分野はARDS(急性呼吸促迫症候群)、人工呼吸。研究テーマはtele-ICU(遠隔ICU)、せん妄、急性期における睡眠など。関連学会で数多くの要職を務め、海外にも様々なチャンネルを持つ。