Phone: 03(5328)3070

Email: hyoe.narita@humonyinter.com

医療現場で起こっていること

ヒューモニー特別連載

第42回 じつは難しい人工呼吸

2021年03月15日 掲載

スピーカー 讃井將満(さぬい・まさみつ)教授  

人工呼吸器の使用・管理は難しく、日本では専門医の数が不足している――新型コロナウイルス感染症の重症病床が容易には増床できない理由と、その処方箋を集中治療のエキスパート讃井教授が説き明かす。

一都三県の緊急事態宣言は再延長中ですが、新規陽性者数は下げ止まり、リバウンドの兆候さえ見えてきています。この再延長にあたっては、リバウンド抑止の他に、「病床の逼迫状況の改善が不十分」も理由の1つとして挙げられました。おもに重症患者を診療する私の印象では、重症病床については少しづつ状況が改善してきたけれど、やはり改善スピードが減速し、逆にわずかながら上昇に転じており、「嫌な感じ」を抱いています。

病床の逼迫状況の改善のためには、感染者数を減らすと同時に病床数を増やすことが必要です。重症病床に関しても、さらなる増床に向けての努力が引き続き行われています。しかし、「なんでもっとドーンと増やせないのか」「そもそも重症病床が少なすぎるのではないか」、といった批判・疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。ではなぜ一気に増やせないのか。その一因となっているのが、人工呼吸管理の難しさです。 人工呼吸器とは、その名が示す通り、患者自身の呼吸だけでは生命の維持ができない状態になった時に、人工的に呼吸を補助する機械です。マスクで行う比較的軽い人工呼吸もありますが、ほとんどの場合は気管チューブを口から気管の中に挿入します(=気管挿管)。また、治療が長期に及ぶ場合は、喉を切開して、そこから気管にチューブを入れることもあります。こうして、機械によって人工的に息の出し入れを行うわけです。 人工呼吸が必要となる患者は、大きく2つにわけられます。1つは、自分自身で息の出し入れができなくなってしまった(=肺が動かない)患者。たとえば、手術で全身麻酔をする時は人為的に自発呼吸を止めるので、人工呼吸が必要になります。あるいは頭部外傷による昏睡状態などになり、自発呼吸が止まったり、舌の根元が喉に落ち込んで(=舌根沈下)、空気の通り道(=気道)を塞いでしまった場合です。

もう1つは、肺の機能が悪化して、いくら頑張って呼吸しても必要とする酸素のレベルに達しない、あるいは二酸化炭素を取り除くことができない患者です。息の出し入れを患者の体に任せ、吸わせる酸素の濃度を上げることでなんとかなる場合も多いのですが、それだけでは間に合わないほど肺の機能が悪くなり、また息の出し入れも不十分になった時には、人工呼吸器を使うことになります。 医師は初期研修で気管挿管・人工呼吸のごく基本的なトレーニングをします。また、前者(全身麻酔時など)の人工呼吸は、マニュアル通りにやれば機器の設定等も比較的簡単です。実際、人工呼吸の専門的な知識のある集中治療医などでなくても、人工呼吸器をふだんから扱っている医師もいます。しかし、だからといって、「医師免許があれば誰でも人工呼吸ができるのだから、重症病床をどんどん増やすべきだ」とはなりません。というのも、新型コロナウイルス感染症など後者(肺機能の悪化)の人工呼吸はかなり難しいからです。

人工呼吸器は使い方を誤れば肺に対する凶器になってしまいます(第3回参照)。肺炎が悪化して空気を受けるスペースが小さくなった肺への人工呼吸は、それが適切に行われなければ、無理に空気が押し込まれて肺が過度に膨らんだり、空気の出入りが激しくなることによって、肺は傷んで腫れてしまいます。皮膚を何回もこすると真っ赤に腫れあがるのと一緒です。ですから、専門的な知識をもとに、多種多様な肺、体格、基礎疾患をもつ患者に対して、適切な人工呼吸器設定を行うこと、刻一刻と変化する患者の病態に応じてリアルタイムに呼吸器を調整することが求められます。それらがわかっていないと、逆に肺にダメージを与えてしまうのです。 さらに総合診療的な広範な知識も必要です。新型コロナ感染症の重症患者の中には人工呼吸器を付けるだけではすまない方がほとんどだからです。たとえば、人工透析を行い、さらに使い方を間違えると生命の危機に直結するような昇圧剤や強心剤を投与するというケースも多く、それらの正確な効果と害について最新の知識を持っていなければなりません。

内視鏡手術や心臓のバルーン治療といった外科の手術であれば、専門的トレーニングが必要であることは自明で、専門医に任せるのが当たり前です。対して人工呼吸は、初期研修で習うなど敷居が低く、実際比較的簡単なケースであればそれなりにできてしまう面もあるので、専門医(おもに集中治療専門医)の知識・経験・技術の重要性は医療界も含めてなかなか認識されません。しかし、救命だけでなく患者の予後・良好な社会復帰の可能性まで考えるなら、本来は人工呼吸の専門医に任せるべきです。

そこで問題となるのが、集中治療専門医の数です。残念ながら、日本では集中治療専門医がまだまだ少ないのが現状です(2016年4月時点で1,436名)。

重症病床確保のネックになっているのは、専門医の不足だけではありません。人工呼吸を熟知した看護師をすぐに増やせないことも大きく関わっています。

患者と接する時間がもっとも長いのは、医師ではなく看護師です。人工呼吸でも、ほとんどの時間で患者を見ているのは看護師です。ですから、人工呼吸管理の安全性を担保しているのは看護師だと言っても過言ではありません。 まず、看護師には、人工呼吸器についての機械的知識が求められます。基本的には臨床工学技士という医療機器の専門家が人工呼吸器の保守点検を行い、ベッドサイドで正しく動いているか、危険な設定が行われていないか確認しますが、看護師も機械がどのように動くのか、アラームの意味、アラームが鳴った時の初期対応、モニターに示される数値や波形の意味など、基本的な知識を持っていなければなりません。 その上で、看護師がやるべきことは多岐にわたります。気管チューブが呼吸回路からはずれていないか、気管チューブが気管から抜けかかっていないか(たとえば体の向きを変えた際、引っ張らてチューブが抜けてしまう、あるいは患者自ら無意識にチューブを抜いてしまうことがあります)などのチェック。気道の閉塞を予防するための痰の吸引。表情、皮膚の色や冷たさ、汗のかき具合、鼻の穴の広がり具合、胸の動き、お腹のふくらみ等々の全身状態の観察・確認。バイタルサイン(脈拍、血圧、呼吸、体温)、酸素飽和度、心電図、尿量などのチェック。褥瘡(床ずれ)予防のための体位変換。点滴の交換とチェック、薬や栄養の投与…等々。これらの多種多様なチェックや看護が遅滞なく行われないと、あるいは異変にいち早く気付いて対応しないと、人工呼吸患者はただちに生命の危機に陥ってしまいます

一般病棟に入院する患者は、病気によってすぐに生命に危機が及ぶ状態ではありませんが、集中治療室に入室する人工呼吸患者は、満点に近い治療や看護が提供されてはじめて救命のチャンスが出てくるのです。質と安全の担保は最適な医療の両輪ですが、重症患者に対する人工呼吸に関しては、質は専門医が、安全性は看護師と臨床工学技士が担っていると言えるでしょう。 しかし、現状では人工呼吸の専門的な知識・経験を持つ看護師は多くはいません。また、専門看護師を育てるとしても一朝一夕にはかなわず、1人前になるには1年ぐらいかかります。大阪府が新たに整備した「大阪コロナ重症センター」でなかなか看護師が集まらなかったのには、このような背景もあるのです。

以上のように、新型コロナ感染症重症患者の治療に関して根源的な問題は、専門医・専門看護師の数が少ないことにあります。人工呼吸器の数さえ揃えれば大丈夫というわけではないのです。とはいえ、新型コロナ感染症は専門医や専門看護師の増加を待ってはくれません。もし今後ふたたび第3波と同じかそれ以上に大きな波が来たら、現状のマンパワーでは対応しきれないのは明らかです。

しかし、打ち手がないわけではありません。ひとつは、全体のレベルの底上げです。すでに述べたように、日本の医師は初期研修で人工呼吸を学びますし、専門的ではないにしろ治療で人工呼吸器を使った経験のある医師も少なくありません。そういった医師が専門医に相談できる体制、あるいは専門医が助言できる体制を作り、ある程度質を担保しながら裾野を広げるのです。実際、『日本COVID-19対策 ECMOnet』など全国的な支援ネットワークがその役割を果たしてきましたし、埼玉県の例でいえば、人工呼吸器のウェブセミナーを定期的に開催しています。

また、埼玉県で導入したような遠隔集中治療支援システム(tele-ICU)も有効となるでしょう(第4回参照)。 看護師についても、中小病院で何度か人工呼吸器を使った経験のある人が一定数います。そういった人材を確保しつつ教育して、いざという時にリクルートできるようにすべきだと思います。

一方で、感染拡大期には、これまでのような分散型より、専門の病院を作って機能を集中させるべきでしょう(第39回参照)。限られた人材を有効活用するためには、専門医や専門看護師を各病院が派遣・供出して重症患者を診療するほうが合理的だからです。

ワクチンによってトンネルの出口が見えてきましたが、その効果が現れるまでにはまだ時間がかかります。決して油断することなく、さらなる体制整備を柔軟かつスピーディーに進めていかなければなりません。
(3月13日口述 構成・文/鍋田吉郎)

 

※ここに記す内容は所属組織・学会と離れ、讃井教授個人の見解であることをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。

 

連載第43回は322日掲載予定です。

鍋田吉郎(ライター・漫画原作者)

なべた・よしお。1987年東京大学法学部卒。日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。

■ヒューモニー特別連載 医療現場で起こっていること

写真/ 讃井將満、ブルーシーインターナショナル、ヒューモニー
レイアウト/本間デザイン事務所

スピーカー

讃井將満(さぬい・まさみつ)教授

自治医科大学附属さいたま医療センター副センター長・ 麻酔科科長・集中治療部部長

集中治療専門医、麻酔科指導医。1993年旭川医科大学卒業。麻生飯塚病院で初期研修の後、マイアミ大学麻酔科レジデント・フェローを経て、2013年自治医科大学附属さいたま医療センター集中治療部教授。2017年より現職。臨床専門分野はARDS(急性呼吸促迫症候群)、人工呼吸。研究テーマはtele-ICU(遠隔ICU)、せん妄、急性期における睡眠など。関連学会で数多くの要職を務め、海外にも様々なチャンネルを持つ。