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医療現場で起こっていること

ヒューモニー特別連載

第55回 標準治療とイベルメクチン

2021年06月14日 掲載

スピーカー 讃井將満(さぬい・まさみつ)教授  

最初は手探りだった新型コロナウイルス感染症の治療法は、この1年半の間にある程度確立してきたといえる。イベルメクチンがその標準治療にならない理由と、今後の可能性について、讃井教授が掘り下げる。

 私が勤務する自治医科大学附属さいたま医療センターでも入院中の新型コロナウイルス感染患者は減ってきました。しかし、救命センターに来院する方の中に、ときに検査の結果、陽性を示す患者がいらっしゃいます。また、まれに来院時に陰性でも入院後に発症し、検査が陽性になる場合があるので気は抜けないわけですが、職員のワクチン接種が終了したので、患者から職員を介して院内感染に発展する可能性は相当低くなったと思います。もちろんワクチン接種後に感染する確率、他人に感染させる確率が完全にゼロになるわけではありませんが、接種の進展によりこれらの確率が確実に減少し、社会における感染予防効果が出てくると思います。

ワクチンの安全性と有効性については、3637で述べたように非常に高いといえます。新規感染者数がほぼゼロになったイスラエルの例を見ても、新型コロナ感染症を収束させる決め手はやはりワクチンだといえるでしょう。日本でも接種は急速に進んでいますので、数か月後には今とは異なる景色が見られるのではないかと期待しています。 しかし、多くの方がワクチン接種を終えるまでは、まだまだ油断できません。「変異ウイルスは感染力が強く、重症化率も高い。若年層も感染しやすく、重症化する」という研究報告がいくつも出されています。実際、年初の第3波では重症患者は80代が多かったのに対し、現在の4波では70代前半より下の世代が多くなり、40代・30代でも一時的に悪化してICUに入室する方が増えています

一方で、重症患者の多くがその後回復しているのも、これまでと異なる点です。ECMO(体外式膜型人工肺、3参照)が必要になる患者は減っており、死亡率も下がっているというのが、臨床現場の印象なのです。これには、高齢者の重症患者が減り若年化しているという患者層の変化、医療従事者の知見・経験の蓄積、新しい治療薬の使用など、いくつもの要素が絡んでいると考えられ、原因を一つに限定することはできません。ただ、医療従事者は今までどおりに標準的な治療(標準治療)を行えば、これ以上死亡率は上昇しないであろうとはいえると思います。 では、標準治療とはどういうものなのでしょうか。新型コロナ感染症の治療に使用する薬を例に説明しましょう。というのも、アビガンやイベルメクチンをめぐって、臨床現場とそれ以外(一部の報道・医療従事者や一般の方)の考え方に乖離があると感じるからです。

標準治療とは、大規模な臨床試験によって治療効果や安全性が確認され、現在もっとも推奨される治療法です。その臨床試験の代表が、患者をランダムに2つのグループに分け、一方には試験対象の薬、もう一方には偽薬を投与するという試験(RCT:ランダム化比較試験、17参照)です。RCTは、効果の有無を確かめる最も優れた方法と言えます。 しかし多くの場合、ひとつのRCTだけでは不十分で、いくつかの追試験のRCTが必要になります。こうして得られた複数のRCTの結果を決められた方法で統合し、系統的に解析して「効果があり、安全だ」と認められて、初めて標準治療となります。言い換えれば、標準治療は、世界中でおこなわれた臨床試験の結果を集めて科学的に解析し、専門家が有効性と安全性を確認して最善であると合意した、その時点での最善の治療法と言えるでしょう。この標準治療を疾患ごとにまとめたものが「診療ガイドライン」です。

この標準治療と似た言葉に、保険診療上適切なプロセスを経て承認された治療(保険診療として認可、あるいは承認された治療)があります。薬に関しては、標準治療同様RCTを経てPMDA(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)で承認されると、厚生労働省が保険診療として認可。保険診療上の点数(薬価)、投与量、投与期間などが正確に定義されます。健康保険に加入している患者にとって、保険診療は、窓口で支払う負担が少なくなるというだけでなく、どの医療機関でも同じ診療を同じ金額で受けられるというメリットがあるわけです。

標準治療と、保険診療として認可された治療はRCTなどの臨床試験を経て決まるという点では同じですので、その範囲はおおむね重なります。ただし、標準治療は、世界中の臨床研究データを解析して合意して得られたもので日本人のデータは必ずしも必要ありませんが、保険診療として承認を得るには、原則として日本人を対象とした臨床試験が必要になりますし、かつ医療費という制約も発生します。他にも、RCTで患者の人数を集められないといったさまざまな理由があるとき、小さい規模の質が落ちる試験だけでも保険診療として承認されるケースもありますので、この二つが完全に一致しているとはいえません。

また、ある薬が保険診療として認められていないとしても、その使用が禁じられているわけではありません。たとえば、日本では未承認で販売されていないが海外では承認済みの最先端の薬を治療に用いる場合。医療費は全額患者の自己負担となりますが、同意のもとその薬を使用することはできます。このような健康保険が適用されない医療技術や薬による治療を自由診療と言います。

さらに、「適応外使用」もあります。適応外使用とは、すでに国内で承認されている薬を承認内容の範囲外で用いることです。ある病気の治療について保険診療として承認された薬が、別の病気に効くのではないかと考えられて使用されるケースは、医療現場では多々あります。新型コロナ感染症でも、開発まで何年もかかる新薬を待つことはできませんので、さまざまな薬が適応外使用されました(その後、RCTを経て有効性が認められたものは保険診療として承認されています)。

薬を適応外使用する場合、患者側から見れば、全額自己負担の自由診療とは異なり、保険診療と同じように一部負担ですみます。医療機関は診療報酬を健康保険で償還されるよう申請します。しかし、審査の結果、必要性が認められず、「切られる」こともあります。そうなると、医療機関が患者負担分以外をすべてかぶることになってしまいます。

以上のような縛りがありますので、医師は第一に、「標準治療かつ保険診療として承認された治療」を考えます(もちろん、さまざまな検討の下に患者の同意を得て、標準治療だけれども保険診療ではない治療、あるいは標準治療ではないけれども保険診療として承認された治療を行うこともあります)。その上で、「標準治療集」である診療ガイドラインを細部までよく読み、たとえば「高齢者への安全性は不明で十分に注意して用いる必要がある」などの情報を参考に、個々の患者の状態を見ながら最善の選択を探し、決めていきます。

ガイドラインの一例(日本集中治療医学会ホームページより)

新型コロナ感染症に関しては、通常ならば数年単位で書き換えられる標準治療および診療ガイドラインが、頻繁に更新されています。数年後に出たRCTの結果がまったく異なる場合がしばしばあるので、書き換えは当たり前に起こるものなのですが、従来は丁寧なプロセスを経るため時間がかかっていました。これに対し、新型コロナ感染症では、慎重なプロセスよりもスピード感をもって更新するほうがベネフィットが大きいと考えられているのです。同様に、保険診療の承認も非常に速いペースで行われています。前述のとおり、新薬の開発を待てないので、現実的に既存の薬を流用し、条件を満たせば保険診療として承認するという流れが今までの常識では考えられないような速さで進んでいます。

このような中で、アビガンやイベルメクチンはなぜ標準治療とならず、保険診療としても承認されないのでしょうか。

抗インフルエンザウイルス薬として承認されているアビガンに関しては、当初期待は高く、効果があるという印象を持った医師もいましたが、現在まで明確に有効性を示すRCTは出ていません。昨年12月に厚労省の専門部会が、「有効性を明確に判断することは困難である」として承認を見送りましたが、妥当な判断だったと思います(ただし、現在でも適応外使用で「切られる」ことはないようです)。

寄生虫疾患の薬として承認されているイベルメクチンについては、新型コロナ感染症への有効性を示す研究報告が複数あり、非常に注目されています(一方で、否定的な論文もあります)。ただし、これらの研究報告はエビデンスレベル(研究の質)としては低い観察研究が多く、大規模なRCTによって有効性を示す結果はまだ出ていません。したがって、科学的・客観的に考えれば、現時点でイベルメクチンが標準治療にならず、保険診療としても承認されないのは妥当だと思います。

実際、臨床の現場でイベルメクチンを使用している医師は現在も少数派のようです。厚労省ではかなり早い時期(昨年5月)にイベルメクチンの適応外使用を認めたので、診療報酬を「切られる」心配がないにもかかわらずです。極論すると、医師の中には、目の前の患者を救うためにいい意味でも悪い意味でもあらゆる方法を使いたいタイプと、あくまで科学的データで得られた標準治療に則って最善の治療を目指すタイプがいるのですが、やはり多くの医師はエビデンスレベルを注視しているのだと思います。

とはいえ、問題もあります。イベルメクチンの大規模RCTが実施されないのは、製薬会社が試験に積極的ではない面があるからです。その背景には、既存の薬、とくにイベルメクチンのように薬価が安い薬では、仮に承認されて広く使われるようになっても、それほど大きな利益が期待できないという事情があります。しかも、大規模RCTには相当なコストがかかりますので、インセンティブが働かないのです。

個人的には、現状承認されていないことは妥当だと考える一方で、イベルメクチンに可能性がないとは思っていません。 イベルメクチンは、すでに寄生虫疾患の薬として世界中で広く使用され、その安全性は高いと考えられるでしょう。しかも薬価が安い。そういう薬は試してみる価値はあると思うのです。もし新型コロナ感染症に効くのであれば、それは医学がこれまで積み上げてきた人類の財産ということになります。じつは、同じように開発当初の目的とは異なる病気に対して効果が示され標準治療として定着した薬は相当数あります。イベルメクチンについても、エビデンスレベルの高い大規模RCTで有効性が示されることを期待したいと思います。
611日口述 構成・文/鍋田吉郎)

 

ここに記す内容は所属組織・学会と離れ、讃井教授個人の見解であることをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。

 

連載第55回は621日掲載予定です。

鍋田吉郎(ライター・漫画原作者)

なべた・よしお。1987年東京大学法学部卒。日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。

■ヒューモニー特別連載 医療現場で起こっていること

写真/ 讃井將満、ブルーシーインターナショナル、ヒューモニー
レイアウト/本間デザイン事務所

スピーカー

讃井將満(さぬい・まさみつ)教授

自治医科大学附属さいたま医療センター副センター長・ 麻酔科科長・集中治療部部長

集中治療専門医、麻酔科指導医。1993年旭川医科大学卒業。麻生飯塚病院で初期研修の後、マイアミ大学麻酔科レジデント・フェローを経て、2013年自治医科大学附属さいたま医療センター集中治療部教授。2017年より現職。臨床専門分野はARDS(急性呼吸促迫症候群)、人工呼吸。研究テーマはtele-ICU(遠隔ICU)、せん妄、急性期における睡眠など。関連学会で数多くの要職を務め、海外にも様々なチャンネルを持つ。