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医療現場で起こっていること

ヒューモニー特別連載

第81回 今あらためてPCRを考える

2022年04月04日 掲載

スピーカー 讃井將満(さぬい・まさみつ)教授  

PCR検査体制をどうすべきか、パンデミック初期には活発な議論が行われていたが、現在は話題にのぼる機会が激減している。しかし、将来の新たな感染症への対策も含め、今だからこそ考える必要があるのではないだろうか。その議論の前提となるPCRの原理・意義を長原光・済生会栗橋病院長に訊いた。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大が始まった2年前、PCR検査体制が不十分で諸外国に比べて検査数が少ないことが問題視され、さまざまな議論が巻き起こりました。その後、検査体制は拡充されたにもかかわらず、オミクロンが急速に感染拡大した今年1月半ば以降、PCR検査試薬の不足や検査がなかなか受けられない検査難民が問題になりました。検査体制をどのレベルまで構築すべきなのか、あらためて議論が必要に思います。そこで、肝臓がんの臨床と基礎研究に同時に携わり、PCRを初期から使われてきた長原光・済生会栗橋病院長に、PCRの原理・意義を伺いました。

長原光(ながはら・ひかる)

1981年北海道大学卒後、東京女子医科大学消化器病センターに入局。1985年国立がんセンターにて分子生物学を学び、1995年からワシントン大学(セントルイス)分子腫瘍学で細胞周期研究に従事。2021年3月東京女子医大を定年退官。現在、済生会栗橋病院長。新型コロナウイルス診療に病院をあげて取り組んでいる。

讃井 まず、PCRの原理からお教えください。

長原 PCR(Polymerase Chain Reaction=ポリメラーゼ連鎖反応)は、非常に微量な遺伝子(DNAの中の遺伝情報を持っている部分)を増やすことができればさまざまな解析が簡単になるということから、1980年代にアメリカで発明された技術です。

DNAは相補的な2本の鎖がくっついた二本鎖で形成されているのですが、これに95℃の熱を加えると二本鎖が離れて1本ずつの鎖になります。その後、65℃~55℃まで温度を下げると、あらかじめ溶液の中に入れておいたプライマー(DNAの小さな断片)が1本になった鎖にくっつきます。これをアニーリングといいます。アニーリングの後、再び温度を72℃に上げると、あらかじめ溶液の中に加えておいた酵素(DNAポリメレース)の作用でプライマーが伸長し、二本鎖のDNAが形成されます。つまり、95℃、65℃~55℃、72℃という1回のサイクルで1個のDNAが2個になるわけです。このサイクルを繰り返していくのがPCRです。 讃井 あらかじめ容器(チューブ)の中にプライマーと酵素を入れておいて、温度変化だけをコントロールしているのですね?

長原 はい。いったんサーモサイクラーという機械にかけたら、チューブの中の反応系が温度変化だけでDNAを増幅します。95℃、65℃~55℃、72℃という一連のサイクルをn回やれば、DNAは2のn乗倍に増やせるのです。 讃井 1サイクルの反応時間はどれぐらいなのですか?

長原 おおよそですが、95℃は30秒、65℃~55℃は45秒、72℃は30秒から45秒といったところです。ですから1サイクルが約2分。30サイクルだとだいたい1時間ぐらいですね。このサイクル数をCt値といいます。

讃井 Ct値が低い、つまり反応サイクルの回数が少ないのに新型コロナウイルスの遺伝子が検出される時は、もともとのウイルス量が多いと考えてよいのですか?

長原 おっしゃる通りです。たとえばCt値が10(DNAを2の10乗倍に増幅)で検出できる場合は、Ct値が30(DNAを2の30乗倍に増幅)で検出できる場合にくらべて、採取したサンプル中のウイルス量が多いといいうことになります。

讃井 現在、新型コロナウイルスのCt値のカットオフ(線引きの値)はどれぐらいなのですか?

長原 今はおおむね、「35から37 で検出できなければ陰性」という判断にしていると思います。

讃井 新型コロナウイルスはRNAウイルスです。RNAは、遺伝情報を担うDNAの指令のもと、遺伝情報を具体的に表現する時に(例:タンパク質を作る)、下請けのようにはたらく存在です。構造はDNAに似ていますが一本鎖なので、そのままではPCRにかけられませんよね?

長原 RNAの場合は、最初に逆転写酵素というものに一回反応させてDNAを作ってからPCRにかけます。現在のPCR検査キットは、RNAを抽出する試薬や逆転写酵素、さらにプライマー、DNAポリメレースが全部入っているものが多く、その場合はサンプルを入れて混ぜたら、後は機械にかけるだけです。ワンステップで行けるので、コンタミネーション(試料汚染)が起こりにくくなっています。

讃井 なるほど。話題を変えて、PCR結果の解釈や、社会における役割についてお話しいただきたいと思います。新型コロナウイルスに対するPCR検査の特異度は非常に高い(=99.9%以上)、つまり感染していないのに誤って検査陽性になるケース(=偽陽性)がほとんどないと言われています。これは逆に「PCR陽性であれば、他者への感染力はともかく、検査部位に確実にウイルスがいる」ことを意味していますよね。一方、PCRの感度(=感染患者が検査陽性になる割合)が低い(=70%程度)、言い換えれば、感染しているのに検査が陽性にならず、見逃されてしまうケース(=偽陰性)が多いことが問題と言われてきました。この2年間、さまざまな言説が飛び交いましたが、どうしてそうなるのでしょうか。

長原 理想的な条件でPCRを行えば、感度は100%になるはずです。そういえるほど優れた検査法です。しかし、論文などで報告されている実際の感度は70~80%程度です。なぜ100%にならないかというと、まず、ウイルスが多く出ているタイミングでサンプルを採っていないことが挙げられます。一昨日は陰性だったのに今日陽性になったという話をしばしば聞きますが、サンプルを採るタイミングによって左右される面があるのです。また、サンプルの採り方によっても若干差が出ます。さらに、唾液などの中に存在するリボヌクレアーゼ(RNase)という酵素が、新型コロナウイルスのRNAを分解している可能性もあります。

とはいえ、繰り返しになりますがPCRは非常に優れた技術で、たった1個の細胞から遺伝子を増幅することができ、活用が進んでいます。たとえば、私が専門にしているC型肝炎ウイルスにはいくつかの遺伝子型があり、それぞれ治療法が異なるのですが、PCRによって遺伝子型を特定することができます。各タイプのウイルスを抑制できる薬が開発されたこととあいまって、今やC型肝炎ウイルスは8週間で約95%消すことができるんです。新型コロナウイルス対策でPCR検査体制が拡充されたことにより、さまざまな感染症の診断がより早く、正確になっていくのではないかと期待しています。

讃井 コロナ以前、季節性インフルエンザではPCRは使われていませんでしたが、それはなぜなのでしょうか?

長原 季節性インフルエンザが感染力を持つのはおもに発症後なので、抗原検査(ウイルスのタンパク質を検出する検査方法)で十分だったという面があります。また、新型コロナウイルス感染症に比べれば致死率が低く、治療薬もあったため、PCRを求めるほどの切実さがなかったのだと思います。

新型コロナウイルスについても、最近日本ではかなり切実さがなくなってきているように感じます。そうなると、「PCR検査をたくさんやりましょう」という議論にはもはやならないのかなと思います。

讃井 2020年の感染初期には、PCR検査体制は不十分で、必要な人が必要な時に検査を受けられないという状態でした。その後、検査体制は拡充してきていますが、もっと広範に、いわば一網打尽的に検査が行えるようにすべきだという意見もありました。長原先生はどのようにお考えですか?

長原 検査をして陰性の人と陽性の人を分けるのが原理原則だと考えます。そして、陰性の人が社会経済を回していく。「陰性と陽性がはっきりしない状況で、どうやって社会経済を回せるのだ?」と思うからです。たとえば一家に1台PCRの機械があって、朝検査をして陰性だったら会社や学校に行くといった形にするのが理想です。もちろんそこまでは無理ですが、学校や会社で複数の検体を一つにまとめてPCRにかけるなど、工夫次第である程度陰性と陽性を分けることはできるでしょう。あるいは、このように社会的なPCR検査をしないとしても、少なくとも検査を受けたい人がきちんと検査を受けられるところまでは整備しておく必要があると思います。ただ、切実さがなくなってきている現在では、こういった議論はあまり行われません。 讃井 予算や人員など医療資源が限られている中でどこまでPCR検査体制を充実させるのか、社会的にPCRを利用するとしたら検査の範囲や頻度をどのように設定するのかなど、議論すべき点は多いと思います。喉元過ぎれば熱さを忘れるで議論をしなくなることが一番大きな問題かもしれません。本日はありがとうございました。
(3月7日対談 構成・文/鍋田吉郎)

 

※ここに記す内容は所属組織・学会と離れ、讃井教授、長原先生個人の見解であることをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。

 

連載第82回は418 日掲載予定です。

鍋田吉郎(ライター・漫画原作者)

なべた・よしお。1987年東京大学法学部卒。日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。

■ヒューモニー特別連載 医療現場で起こっていること

写真/ 讃井將満、ブルーシーインターナショナル、ヒューモニー
レイアウト/本間デザイン事務所

スピーカー

讃井將満(さぬい・まさみつ)教授

自治医科大学附属さいたま医療センター副センター長・ 麻酔科科長・集中治療部部長

集中治療専門医、麻酔科指導医。1993年旭川医科大学卒業。麻生飯塚病院で初期研修の後、マイアミ大学麻酔科レジデント・フェローを経て、2013年自治医科大学附属さいたま医療センター集中治療部教授。2017年より現職。臨床専門分野はARDS(急性呼吸促迫症候群)、人工呼吸。研究テーマはtele-ICU(遠隔ICU)、せん妄、急性期における睡眠など。関連学会で数多くの要職を務め、海外にも様々なチャンネルを持つ。