新型コロナウイルス感染症と戦ってきたこの2年間、とくに状況の厳しかった感染の極期には、わたしは医療従事者の立場からしばしば“より強い施策“を望んだことがありました。たとえば、感染の拡大を阻止するためのロックダウン、病床不足を解消するための政府・都道府県の強制力の発揮…。しかし、強い施策は、自由主義社会の理念として共有してきた“個人の権利や自由“を制限するものでもあります。
国民の命を守るために権利や自由をどこまで制限できるのか――「憲法とリスク」を研究テーマの1つとされ、その中で公衆衛生の問題に取り組んでいらっしゃる憲法学者、大林啓吾千葉大学教授に伺いました。
千葉大学大学院専門法務研究科教授。憲法の観点から公衆衛生の問題を研究し、著書に『コロナの憲法学』、『感染症と憲法』、『憲法とリスク』などがある。
讃井 まず伺いたいのはロックダウンについてです。医療従事者の立場からすると、感染拡大期にはロックダウンを行って一気に感染を抑え込んでほしいのですが、なぜ外国ではできて日本ではできないのでしょうか?
大林 ロックダウンを行うには法律の根拠が必要です。ところが、日本にはロックダウンに関する法律がないので、ロックダウンをすることはできません。ロックダウンを実施した欧米諸国でも、国や地方自治体レベルで法律や条例に緊急事態条項やロックダウンに関する規定があって、それに基づいて行うという法の支配の原則が貫かれています。
讃井 日本では憲法の中に緊急事態条項がないのでロックダウンができないということですか?
大林 じつは欧米では緊急事態条項が憲法にあろうがなかろうがロックダウンなどの強制的な対策を実施しています。欧米の法体系は、アメリカやイギリスなどのコモンロー系の国と、ドイツやフランスなどの大陸法系の国に大別できるのですが、コモンロー系の国はそもそも憲法の中に緊急事態条項を持っていません。持っていないにもかかわらず、たとえばアメリカでは州や地方自治体がかなり強いロックダウンを実施しました。一方、ドイツやフランスなどの大陸法系の国は憲法の中に緊急事態条項があるのですが、ロックダウンをやる際には基本的に個別の法律が必要で、その法律に基づいて実施するという形になっています。
結局、どちらの法体系の国でも、法律が必要だということは変わらないわけです。日本も同じで、ロックダウンが必要だとなれば、まず法律を作る必要があります。そして、それは必ずしも憲法改正に直結しません。ただし、その法律が憲法に適合しないような内容であり、それでもなおロックダウンが必要ということになれば、憲法改正も視野に入ってきます。
ロックダウンに関する欧米と日本の状況「法律のロックダウン規定」には州や地方自治体の法律や条例を含み、またロックダウンそのものの規定に限らず、授権規定も含む。「ロックダウンの実施」には州や地方自治体の実施も含む(大林教授作成)。
讃井 では、どのような法律が必要なのでしょうか?
大林 前提として、そもそも現在の感染症分野の日本の法体系が強い措置を念頭に置いていないことに注意が必要です。1998年に成立した感染症法の前文には、ハンセン病患者等に対する差別や偏見が存在してきたことへの反省が述べられています。従来のような隔離を中心とした対策は人権を強く制約するという問題があり、また同法には予防や治療を含めた対応が十分盛り込まれていないという課題もありました。そのため、人権に配慮してできるだけ強い措置は設けずに、かつ総合的な観点から感染症対策をしていこうという制度設計になっているのです。さらに、2009年の新型インフルエンザウイルスの世界的流行をうけて、2012年に新型インフルエンザ等対策特別措置法が成立します。ただ、日本では新型インフルエンザの流行が深刻な状態にはならなかったため、ロックダウンなどの強い措置が盛り込まれませんでした。
また一方で、日本独特の社会的な土壌も考慮しなければなりません。コロナ禍で明らかになったように、自粛要請によってかなりの程度人流が抑制されることがわかりました。アメリカの学会で、この日本の状況を報告すると、「ありえない」という反応が返ってきます。「アメリカでは国民がそこまで言うことを聞くなんてありえない。だから強制が必要なんだ」というわけです。
讃井 日本人はいい意味でも悪い意味でもお上のいうことを聞きますからね。
大林 しかも、感染症分野に限りませんが、日本ではいわゆる行政指導中心型の政策運営が主流です。法に則って強制的に政策を実現するというよりは、行政指導というある種要請にも近いようなソフトなやり方で政策を実現してきたわけです。コロナ禍における感染症対策でも、行政指導中心型の政策運営がなされました。
以上のような法体系と社会的背景を前提に、法律にロックダウン規定を設けるのか否か、設けるとしたらどのような内容が妥当なのかを議論すべきでしょう。そこでまず検討しなければいけないのは立法事実です。
讃井 立法事実とは?
大林 その法律が本当に必要であることを示す根拠です。ロックダウンについては、「海外のロックダウンは本当に成功しているのか」、「ロックダウンは効果的な方法なのか」、「日本ではロックダウンが必要な状況になっているのか」といった点について、事実の検証が必要になるでしょう。仮にこれらの立法事実が認められたとすると、次に、具体的にどのような方法を設定するのか、それが憲法に違反していないのかを考えていくことになります。
そこでポイントになるのが、公共の福祉との関係です。政府が国民の権利や自由を制限するためには、その目的が公共の福祉に合致しなければなりません。ロックダウンの目的が公衆衛生の維持や国民の生命の保護にあるとすれば、少なくとも形式上はOKです。しかし、話はそう単純ではありません。難しいのは、ロックダウンが感染していない人も含めて外出禁止を強制することがあるという点です。この場合、感染者の隔離とは異なり、他人に危険を及ぼすかどうかわからない人の自由も制限してしまいます。公共の福祉によって権利や自由を制限するためには原則として危害原理(「他人の権利や自由を侵害する権利や自由は認められない」という原理)に基づく必要があるのですが、その危害原理の要請の枠を超えてしまう可能性があるのです。
一方で、仮に危害原理に基づかないしても、「個人の保護のために制限を行う」というパターナリズムに基づいて規制を行うという考え方もあり得ます。しかしこれについても、個人の保護のための制限は、飲酒や喫煙のように未成年者に対して例外的に認められるものであって、成人に対しては基本的に認められないとされています。
以上のように、公共の福祉を理由にロックダウンを行えるのかどうかは、相当慎重な議論が必要でしょう。
讃井 ロックダウンを法律で定めるのはかなり難しいのですね。
大林 特に、どのような手段を設定するのかという点が鍵を握ると思います。感染症対策は権利に強い制限をかけたり自由を広く制限したりする傾向があるので、その手段は必要最小限であることが憲法上要請されます。法律レベルでも、感染症法や新型インフル特措法では、必要最小限の手段でなければならないと規定していますので、ロックダウンの具体的な中身も必要最小限という前提で検討しなければなりません。諸外国の例を見ると、ほぼ全て外出禁止にしてしまう方法、いくつかの条件をつけて外出を認める方法、学校を閉鎖したり一定の営業を禁止したりする方法など様々な手法があり、それを強制する方法も命令だけにする場合もあれば罰則をつける場合もあります。その中で必要最小限という観点で考えれば、たとえば外出制限をするとしても外出禁止を原則とするのではなく、外出時にはソーシャルディスタンシングを義務付けたり人が密集する場所にアクセスすることを禁止したりするなど、制限をできるだけ限定する方法にしなければならないでしょうし、ほかにも在宅勤務を義務化したり、会食や集会を禁止したりするといったように制限する行為や場面を限定的にしておく必要があると思います。
結論をまとめますと、ロックダウンが必要な事態が生じた場合には法律にロックダウン規定を設けることができないわけではないけれども、そのためには今までの枠を超える正当性を示さなければならず、同時に必要最小限の手段にしなければいけない――その2点が重要になってくると思います。
讃井 ロックダウンを法律に規定するためには、段階を踏んだ慎重な議論が必要だということがよくわかりました。一方で、医療の現場では、第1波から第5波のそれぞれの極期において、用意されたベッド数以上に患者が発生し、本来であれば入院できる人が入院できなかったり、亡くならなくてよい人が簡単に亡くなってしまうシーンに繰り返し遭遇してきました。緊急事態宣言の効力が時間とともに確実に弱くなっていく中、適切なタイミングでロックダウンを行い、新規感染者数を今現在のように抑えられれば、そのような不幸な患者を減らせるだけでなく、結果として活動制限も短期間で済むのではないかと、医療従事者の立場では考えてしまいます。実際、欧米ではロックダウンができたわけですし、しかも先ほどのお話では法に則って実施されたということでした。日本とのスピード感の違いはなぜ生じるのでしょうか?
大林 欧米の対応が速かったのには2つのパターンがあると思います。1つは、もともと国や地方自治体にロックダウンに関する規定があったのですぐに実施できたというパターン。もう1つは迅速に法律や条例を作ってロックダウンしたというパターンです。それに比べて、日本はロックダウンに関する法律や条例がそもそもない上に、そのための立法もなされていません。それまでは自粛要請が功を奏してきたというのが大きな要因だと思いますが、ロックダウンのような強制的手法が本当に日本に馴染むのか、これ以上経済活動を停滞させてしまっていいのかなどの問題もあるでしょう。そうした事情を踏まえると、ロックダウンの立法作業に着手するのは政治的にも相当勇気がいることだと思います。
讃井 これまでのところ法律や条例は作られず、そのため強制的なロックダウンは実施されず、自粛要請と国民の自主努力で日本はコロナと戦ってきました。不幸にして亡くなった方も多くいらっしゃいますが、諸外国に比べれば持ちこたえているといえるでしょう。最近はとくに抑え込めているので、第5波の渦中にあれほどさかんに論じられたロックダウンの法整備を耳にすることがほとんどなくなりました。喉元過ぎれば熱さ忘れるということで、はたしていいのでしょうか?
大林 もしかすると、日本はロックダウンを行わずに自粛要請にとどめたので、「これをしてはならない」といったような行動の限界ラインが曖昧となり、人々が要請されている内容以上に気をつけるようになった可能性があり、そのおかげでここまで持ちこたえたのかもしれません。ただ、これまではそれでよかったかもしれませんが、その方法が将来も通じる保証はありません。ですから、さまざまな論点を慎重に検討・議論し、必要ならば法整備につなげるべきだと思います。
讃井 ありがとうございました。次回は、ワクチンと法律の関係を伺いたいと思います。
(12月7日対談 構成・文/鍋田吉郎)
※ここに記す内容は所属組織・学会と離れ、讃井教授、大林教授個人の見解であることをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。
連載第75回は12月27日掲載予定です。