救急車に乗せた新型コロナウイルス感染症患者の症状が急激に悪化…。 つい先日、私が勤務する自治医科大学附属さいたま医療センターへ、中等症病院から30代の患者を転院搬送する際のことです。移動は患者の体にとって大きな負担となるため、状態が悪化することも稀ではありません。この時もそうでした。呼吸は荒く苦しそうになり、SpO2(動脈血酸素飽和度)がぐんぐん低下していきました。すぐにでも人工呼吸器を気管挿管しなければ命にかかわる状態です。しかし、救急車の中での気管挿管は難しく、それ自体によって心停止に至る可能性があります。私は、祈るような気持ちで片手で酸素マスクを患者の顔にピタッと押し当て、もう一方の手で呼吸バッグを揉みながら呼吸をサポートしました。すると、SpO2は90前後に落ち着きました。患者はなんとか持ちこたえ、当院到着後すみやかに気管挿管し、ICUに入室することができました。 今、重症患者が増え続けています。第5波が始まり東京都に緊急事態宣言が出た7月12日に432人だった全国の重症患者数は、その後一本調子で増加し続け、8月30日時点で2075人と5倍近くになっています。新規陽性者数はやや減少に転じていますが、重症患者数の増加は感染者数の増加から遅れてやってきますので、今後も増えていくことが予想されます。しかし、埼玉県では(おそらくどの自治体でも)、現時点ですでにコロナ専用に確保されたICUなどの重症病床はほぼ満床です。
デルタ株が主流となった第5波の特徴のひとつに、軽症・中等症患者が非常に多いことがあげられます(第60回参照)。これは、高齢者のワクチン接種が進んだ結果、高齢者に比べて重症化しにくい現役世代(20代・30代を中心としたその前後の世代)の感染者が実数・割合ともに多くなっているからだと考えられます。しかし、重症化しにくい世代だとはいえ、これだけ感染者が増えれば、一定数は重症化してしまうのです。 各社報道の通り、病床逼迫によって、軽症・中等症患者で入院が必要な方、入院したい方が自宅療養を余儀なくされているケースが増えています。その自宅療養中に症状が悪化し、入院できないまま亡くなってしまう方もいらっしゃいます。病床不足は改善しなければならない喫緊の問題です。ただし、軽症・中等症の病床を増やして誰でも入院できる体制を整えても、あるいは現状で運よく軽症・中等症病院に入院できたとしても、重症病床が埋まっていれば、重症化した場合に転院して人工呼吸器やECMOなどの高度な治療を受けることは困難です。
実際、軽症・中等症患者の受け入れに際し、「酸素療法あるいは高流量鼻カニュラ酸素療法(ネーザルハイフロー:鼻に差し込んだ管から酸素を送り込む療法)まではできますが、もし重症化しても人工呼吸器やECMOなどの高度な治療を行える病院には転院できない可能性があります。それを承諾していただけるなら入院できます」と、入院前に承諾を取ることが現実に起こっています。 患者は自由に治療を選択できる――これが治療の一般原則です。年齢や病前の身体・精神機能に関係なく、患者は、保険診療上許されるあらゆる治療を受ける権利があり、また、患者の最善の利益のために治療が行われなければなりません。
一方で、医療技術の進歩にともない生命維持治療が可能になった現在、人工呼吸器などの生命維持装置を用いて人工的に「生かし続ける」ことが本当に患者さんの最善の利益にかなうものなのかどうかが問題となり、われわれ医師は、特に高齢者の方などにDNAR(Do Not Attempt Resuscitation:心肺停止時に心臓マッサージや人工呼吸といった心肺蘇生を実施しない)といった治療制限のオプションを提示することがあります(第35回参照)。
けれども、本来、治療制限の選択は、医師がさまざまな選択肢を示した上で、納得して決断していただくべきものです。ICUが満床であるという物理的制約によって、入院前に治療制限を選択しなければならない現状には、内心忸怩たる思いがあります。一刻も早く改善しなければなりません。
まずやらなければならないのは、重症病床の増床です。当院でも、先日、重症病床を8床から14床に増やしました。しかし、その分、中等症病床、一般救急、予定入院を減らさざるを得ません。新型コロナの重症患者を診るためには、通常よりはるかに多大なマンパワーが必要だからです。とくに看護師の確保が重要で、数だけでなく、人工呼吸器管理に精通したプロフェッショナルであることが求められるのですが、ICUの看護師の教育には1年以上の時間がかかるため、現有の看護師でなんとかやりくりしなければなりません。したがって、重症病床の増床は非常に難しいミッションなのです。埼玉県内のコロナ専用の重症病床は、当初(~昨年7月19日)の60床から現在の235床(今年8月31日~)へと4倍近くに増えましたが、そろそろ限界に近づいているのではないかと思います。
そこで埼玉県では、新型コロナの中等症受け入れ病院で患者の呼吸状態が悪化した場合に、入院・転院調整本部の支援コーディネーター医師が訪問して気管挿管する体制を作りました。気管挿管された患者は、支援コーディネーター医師が同乗する救急車で重症病院に転院するか、重症ベッドがどうしても確保できない時には、そのまま重症病院の集中治療医がリモートでフォローします。さらに中等症病院における人工呼吸管理の質を維持するために、ICUの医師や看護師を講師として派遣して、困っていることにお答えしたり、講習会を行ったりしています。このようにして救える命を救い、人工呼吸の質を維持し、各病院の負担を分散させようというわけです。ちなみに、冒頭の救急車内で患者の症状が悪化した事例は、派遣事業への協力を要請しに行った時のことです。
この派遣事業を進めるにあたって強く感じたのは、私立の中規模急性期病院の頑張りです。日本の医療体制の特徴は、欧米諸国に比べて医療法人が経営する私立病院が多いことで、その功罪が今さかんに論じられていますが、実際にコロナ診療の第一線では多くの私立中規模病院が非常に頑張ってくださっています。新型コロナウイルスの実像があまりわかっていなかった1年前は及び腰だった面もありますが、現在はやる気満々で、「どんどんやりますからいろいろ教えてください」といった対応で、派遣事業の協力を要請しに行った私のほうが逆にハッパをかけられているように感じられるほどです。
コロナ患者を受け入れた場合の補助金増額などの施策の影響も否定できませんが、そのやる気はお金だけでは説明がつきません。不慣れな人工呼吸器管理を必死で学び、また院内感染対策の専門家がいない中でゾーニングなどを1から作り上げていく…。それを大学病院と比較して1ベッドあたりの医師や看護師が圧倒的に少ない中でやっています。このミッションは、使命感に燃えたスタッフが主体的に動かなければ遂行不能で、長期戦になればバーンアウトする(=燃え尽きる)人が多発するのではないかと心配になります。相対的にマンパワーに恵まれた地域の基幹病院に属する医師として、何かできることをお手伝いしたい。地域病院への人工呼吸支援スタッフ派遣には、そのような気持ちも含まれています。
外から見ると、1年半続いたパンデミックにおいて、本来の使命を果たしていないかのように見える医療機関があるかもしれません。しかし、私が知る限り、ほとんどの医療機関や医療従事者は強い使命感を持って動いています。一部の病院については、「病院経営のことだけを考えて病床を増やさない悪役」というイメージでの報道がありますが、そんなことはないと私は信じています。
これは、クリニック・診療所の医師やスタッフについても同じことがいえます。現在はかなりの割合の診療所が発熱外来を設けてコロナの初期診療やPCR検査を行っていますし、ワクチン接種、自療養や宿泊療養患者の診療、後遺症外来でも貢献しています。また、直接コロナ診療を行わない病院も、地域医療を支えています。病気はコロナだけではないからです。
今や、各レベルの医療現場も行政も、日々綱渡りです。ただ、この綱渡りがなんとかできているのは医療や行政現場のスタッフの献身的な頑張りがあるからだということをぜひ知っていただきたいと思います。 それでも、われわれの力不足により、入院できずに自宅療養・ホテル療養となっている方がたくさんいらっしゃいます。その方々の苦痛や不安を想像すると、一医療従事者として本当に申し訳ない気持ちで一杯になります。
(8月31日口述 構成・文/鍋田吉郎)
※ここに記す内容は所属組織・学会と離れ、讃井教授個人の見解であることをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。
連載第65回は9月13日掲載予定です。