Phone: 03(5328)3070

Email: hyoe.narita@humonyinter.com

ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第87回 ビッグデータを「取り戻す」には

2022年07月13日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

今や、私たちが日々生活をする中で、知らず知らずのうちに多くのデータが他者に収集され利用されている。この中で、人々の権利を守り、データ利活用への信頼を確保するにはどうすべきか。元日銀局長の山岡浩巳氏が解説する。

1985年に公開されたSF映画の傑作「未来世紀ブラジル」では、ビッグデータが支配する世界で、誤ったデータによってテロリストと間違えられ逮捕される住民などのディストピアが描かれています。この、30年以上前に作られた映画の内容の多くは、今や人類が真摯に取り組まなければならない現実の課題となっています。

データと救済

データの濫用や過失などによる損害の救済には数多くの難しい問題があります。以下、3つほど挙げてみましょう。

まず、そもそも多くの人々にとって、自分のデータがどこでどう使われているのか自体、よくわからないという問題があります。

私たちの下には、日々、さまざまなダイレクトメールや宣伝が飛び込んできます。例えば、子女の七五三の頃には着物の宣伝、入学の頃にはランドセルの宣伝、受験の頃には学習塾の宣伝など、よくもまあ個人の家庭の事情を把握しているものだなと感心してしまいます。もちろん、このこと自体プライバシーなどの論点はあり得るわけですが、「便利」と感じる人もいるかもしれません。しかし、仮に業者側が抱えるデータに誤ったものが紛れ込めば、その人のニーズに合った広告ではなく、的外れな広告ばかりが来ることもあり得るわけです。しかし当人は、自分に関する誤ったデータが勝手に使われていることを知るよしもありません。

このような問題が、宣伝広告にとどまらず、就職や結婚、借り入れの審査などにも及んでしまうと、事態は深刻です。例えば、借りたお金を常にきちんと返している人の履歴データの中に、誤って不払いデータが混入した結果、ずっと融資が受けられず、しかも本人はその原因がわからないといったケースも考えられるわけです。

もう一つは、デジタルデータは基本的に複製が可能であることです。通常の「物」であれば、使われたくなければ持ち主が物理的に取り戻せば良いわけです。しかし、デジタルデータは、取り戻す前に既に複製されているかもしれません。したがって、「返してもらう」だけでは足りず、どうやって「使わせない」ようにするかを考えなければなりません。

さらに、デジタルデータが「ビッグデータ」と呼ばれるほど量的に拡大すると、もはや人手では取り扱いが難しくなり、人工知能(AI)などに処理を委ねる部分が多くなります。そうなると、データの利用が「ブラックボックス化」し、データがどう使われているか見えにくくなってしまうという問題もあります。

近年のデータ量の急増注: オレンジ線:世界のデータ量(ゼータバイト、左目盛)
青線:1テラバイトのデータの保管コスト(米ドル、右目盛)
出典:金融安定理事会

データを「取り戻す」

近年、これらの問題は、「データ・オーナーシップ」の問題として、先進各国で強く意識され、さまざまな対応が行われてきています。

「オーナーシップ」は通常「所有権」を指す言葉ですが、日本を含め多くの国で、データにはモノと同様の意味での「所有権」があるわけではありません。この中で、デジタルデータの適性を踏まえ、モノにおける「所有権」と類似の保護を与えられないかが検討されてきました。

この分野に先陣を切って取り組んでいるEU(欧州連合)は、2016年に制定された「一般データ保護規則」(GDPR、General Data Protection Regulation)において、核となる規定を設けています。

©欧州連合

まずGDPRは、その20条において「データのポータビリティ権」を定めています。すなわち、まず第1項で、個人データの本人は、データを利用する事業者などから自分のデータを取り戻すことができると定めています。これにより、個人は自らのデータの特定の主体による利用を差し止め、場合によっては本人の意思で破棄できることになります。

また、同条第2項では、個人データの本人は、データを利用する事業者などに対し、自分のデータを他の事業者などに引き渡すよう要求できるとも定めています。これらによって、GDPRは、各人が自分のデータがどう使われるかを自分がコントロールできるようにすることを狙っています。

日本でも、改正された「個人情報保護法」が本年4月に施行され、個人データの取り扱いに関する個人の保護が一段と強化されました。例えば、第35条では、個人が事業者などに対し、自らのデータについて利用停止や消去を求めることができる範囲が拡大されています。

このように近年、多くの先進国は、個人データの「オーナーシップ」を確立し、その濫用や誤用から個人の権利を守る取り組みを進めてきています。これ自体は望ましい方向性だと思います。

ビッグデータ社会の成否を決めるのはデータ利活用への信頼

デジタル化時代にデータの有益な活用を進め、その便益を多くの人々が十分に実感できるようになるには、データの利活用に対する人々の「信頼」が不可欠です。このためには、データを取り扱うインフラ自体の頑健性やサイバーセキュリティ対策などが重要になることは言うまでもありません。同時に、誤ったデータの利用から個人を守り、それぞれの人々が、自らのデータがどのように使われるかについて、主体的に自分の意思を反映させられる制度作りも大事です。とりわけ、個人のデータ利用に対する警戒感がきわめて強い日本では、この点への配慮が大変重要になります。

個人の金融データを他者に提供しても良いとする人々の割合(%)注: 赤:男性、青:女性、日本は「JP」
出所:国際決済銀行(2017年の調査に基づく)

データの活用が経済の発展を大きく左右するようになっている中で、もしも「独裁的・統制経済的な色彩の強い国々の方がデータ活用がやりやすい」となってしまうと、結果的にビッグデータが「未来世紀ブラジル」の描いたディストピアにつながってしまうリスクもあります。日本としては、先進各国と協力しながら、データの活用における個人の権利保護や救済について、国際的な議論を主導していくよう努めていくべきだと思います。

連載第88回「データの『匿名性』を考える」(7月27日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。