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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第2回 おカネや技術の前に、まず目的の明確化を

2020年09月23日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

小国エストニアがDX先進国となった鍵は、IT化の目的を明確にし、行政や実務まで見直し、共通データベースを構築した点にあった。エストニアを実地調査した山岡浩巳氏が解説する。

前回、エストニアの電子IDカードが、「財布の中にあるカードを全てこれ1枚に集約する」という発想で作られていることを紹介しました。

エストニア当局によれば、このような仕組みを実現する上で成功の鍵となったのは、「開発ポリシーをオープンにするという一貫した方針の下、さまざまな主体が連携してインフラの改良を続けていけるようにしたこと」と、「電子IDカードの保有を義務化したこと」でした。

日本ではマイナンバーカードの取得は任意、普及率は本年春時点でなお1割台と、エストニアとは対照的です。「貴国はなぜカード取得の義務化に踏み切ったのか?」という当方の質問に対し、エストニア当局者の答えはシンプルでした。

「私たちにはお金がなかったから」

エストニアは1991年までソ連の支配下にあった小国です。人口は約130万人と、奈良県や山口県と同程度、人口密度はわずか28人/㎢(日本は335人/㎢)、氷河が削ってできた湖沼地帯に人々がまばらに住んでいる国です。ソ連崩壊に伴って独立を果たしたとはいえ、当時の混乱の中で経済力は乏しく(1993年時点での一人当たり年間GDPはわずか1,155ドル)、点在する人々のために国の隅々まで行政オフィスと人を張り付けて手作業で事務を回す余裕はありませんでした。「国民全体に行政サービスを低コストで効率的に提供するには、抜本的なデジタル化に踏み切るしかなかった」のです。

住民の99%が電子IDカードを保有(出所)e-Estonia

実際、「エストニアよりも経済的に余裕のあった国々(例:フィンランド)は、類似の電子IDカードの取得を任意としたケースが多い」とのことでした。しかし、カードの取得を任意にすれば、行政事務をデジタルとマニュアルの両建てで維持する必要があり、大変なコストがかかりますし、デジタル化のメリットも減ってしまいます。また国民も、「手作業でも受け付けてもらえる」と考えれば、電子IDカードを取得したがらなくなり、デジタル化はさらに遅れてしまいます。

もちろん、電子IDカードの取得を義務化する場合、パソコンやスマホを使ったことがないお年寄りなどへの対応が課題となります。しかしエストニア当局は、そのためにマニュアル対応を残すのではなく、「国の経済力などについての理解を得ながら、お年寄りなどもデジタル媒体を使えるようサポートする」という方針で臨みました。

現在、エストニアの人々は、結婚・離婚・不動産登記を除く行政手続の98%について、オンラインで週末でも真夜中でも済ませることができます。これによりエストニアの人々は、「役所に行って、書類を書いて、並んで、提出する」といった手続にかける時間を、年間約5日程度節約できているとのことでした。会社を作りたくなったら、夜中でもパソコンを開いて簡単な操作をすれば30分以内で設立でき、役所に出向く必要は一切ありません。最近ではエストニアで設立される企業の98%が、オンラインで設立されています。

また、電子IDカードは、運転免許証、健康保険証、学生証なども兼ねています。エストニア当局によれば、このようなインフラを実現する上で重要だったのは技術ではなく、運転免許や健康保険、学校などを管轄している行政の「縦割り」そのものの解消でした。

この点について、エストニア当局者は自らの「幸運」を率直に語りました。ソ連崩壊に伴い、独立前にソ連の統治に協力していた人々は事実上公職からパージされ、旧来のピラミッドがいったん崩壊しました。これにより、「お金はなかったが、しがらみもなくなった」ため、大規模な行政改革への抵抗が少なかったことが、デジタル化にとっては追い風になりました。

電子IDカードのスペックやAPI(Application Programming Interface)は公開され、行政だけでなく民間企業もこのカードに紐付ける形で、さまざまなサービスを付加し、インフラを改良し続けていくことが可能です。これにより電子IDカードは、銀行カードやクレジットカード、ポイントカードなども兼ねることになりました。

全てを兼ねる電子IDカード

これを可能としているのが、インターネットを通じてデータを共有し交換できるプラットフォーム“X-Road”であり、開発言語は全てJavaで書かれています。行政や民間企業などさまざまな主体が、このX-roadを利用して広範なサービスを提供しています。

データプラットフォーム“X-road”(©e-Estoniaの資料をもとに総務省が作成)

X-roadを利用するインフラの例としては、「電子処方箋(e-Prescription)」があります。エストニアでは、医師の処方箋は「紙」ではなく、患者のID番号に紐付ける形でデータベースに記録されます。患者はただ、電子IDカードを持って近くの薬局に行けばよく、薬局では患者のID番号からデータベースに書き込まれている処方箋を確認し、薬を患者に渡すだけです。

エストニアの”e-Health”(電子医療)を支えるインフラ(出所)総務省

患者が新たに医師にかかる時には、患者は医師が自分の医療記録にアクセスすることを許可します。これにより、患者が過去に複数の病院を転々としてきた場合でも、医師はその患者の病歴やアレルギーの有無などを把握することができます。

エストニアの“e-Health”(電子医療)(出所)“e-Estonia”資料をもとに筆者が加筆

このように、データプラットフォームは、まさに電子国家を支える基幹インフラです。この点、残念ながら日本のマイナンバーカードは、エストニアと同様のレベルでデータを共有し交換できるプラットフォームに基づいているとは言えません。

日本の多くの人々は、マイナンバーカードを、コンビニでの戸籍謄本や住民票の入手に使っています。例えばパスポートを申請する際には、これらの紙を提出することになります。しかし、デジタル化を貫徹するならば、パスポート窓口に戸籍謄本や住民票などの「紙」を提出する代わりに、マイナンバーカードそのものを提示すれば済む仕組みにした方が良いはずです。

また現在、引越しの際には転出届と転入届を両方出すことが求められています。しかし、データを日本中で共有できるプラットフォームがあれば、「転入先の役所にだけマイナンバーカードを提示すれば、後は転入先の役所と転出先の役所との間で自動的にデータ連携を行ってくれる」という仕組みが実現できるはずです。これらの仕組みができれば、日本の人々も、マイナンバーカードを便利なものと受け止めるようになるでしょう。

新型コロナウィルスは、各国にデジタル化を促しています。その成否は、今後の経済成長力や疫病への頑健性を左右するでしょう。経済力の乏しかった小国エストニアが世界最先端の電子国家と称されるに至っている一方、相応のお金をかけてきたはずの日本のデジタル化が、多くの人々が不満を抱く結果にしかなっていないのは何故か、今、真剣に考える必要があります。

ここで、エストニアの教訓を振り返ってみましょう。

  • デジタル化を進める上で重要なのは、おカネや技術よりもむしろ、「デジタル化で何を実現するのか」について明確な目標を持つとともに、行政の仕組みやマニュアル事務の見直しを並行して進めることである。
  • ITインフラ整備には、共通言語の採用やオープン化など、一貫した整合的な方針と戦略が求められる。
  • ITインフラ整備は、多数の知恵を集め、不断の改良を重ねていくべきものである。

「IT」、「デジタル化」は、世界中で数十年前から叫ばれているキャッチフレーズです。しかし、「それで何を実現したいのか」という具体的な目標が明確でないまま、ブームに乗ってIT化やデジタル化の旗を振っても、うまくいく可能性は低いでしょう。特に日本の場合、マニュアルの事務水準が高いがゆえに、「部分的にデジタル化もするが紙や手作業も残す」、「いざという時には人海戦術に頼る」という発想に流れがちであることが、デジタル化の成果を制約する方向に働きやすいように感じます。

また、日本は確かに優れた技術を生んできましたし、さまざまな開発言語の専門家もいます。しかし、だからといって、各自治体や行政がまちまちに、「それぞれの専門家に頑張ってもらおう」と開発を丸投げしてしまい、結果的に、このシステムの開発言語はJAVA、別のシステムはCOBOL、、、とバラバラになってしまうと、後になってこれらを統合することは容易ではありません。極端な話、「全部壊して作り直した方が安いだろう」と思えるケースも多いのです。

さらに、「過去の判断は正しかった」という「無謬性」にこだわる組織文化が、インフラ改良の障害となるケースもあるように感じます。世の中が常に変化し、技術も進歩する中、あるインフラが時間を超えてベストであり続けられる訳がなく、常に「ベターなインフラ」を目指して改良を続ける柔軟な姿勢が大事になります。しかし、過去の判断の「無謬性」にこだわってしまうと、既存のインフラを「壊して刷新する」ことが難しくなり、結果としてインフラが硬直化するケースも多いように思います。

実際、各種の調査からは、日本は相当な額をIT投資につぎ込んでいるけれども、その多くが既存のインフラの維持管理に充てられ、弾力的なインフラの改良などに向けられるものは少ないとの結果が得られています。

「守り」が多い日本のIT投資

もちろん、例えば地方創生などでは、より地方の自主的な意思決定を尊重し、地方に創意工夫を発揮してもらうことが良い結果に結び付くことも多いでしょう。しかし、ITインフラの構築やデジタル化においては、「何を実現したいのか」という明確な目標を定めた上で、開発言語やAPIのオープン化などの基本戦略を共有し、整合性をとった形で進めていくことが大事だと思います。あわせて、「クラウド」や“as a Service”といった、環境変化への迅速な対応をサポートする新たなツールの活用にも、積極的に取り組んでいくべきでしょう。

 

連載第3回「法的根拠がない!? 日本のハンコ文化」(930日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。