ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第24回 カンボジアの新しいインフラ

2021年02月24日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

デジタル技術革新は、新興国や途上国に、自らのインフラを世界水準まで急速に引き上げる好機を提供している。元日銀局長の山岡浩巳氏が、かつて訪れたカンボジアの事例について解説する。

 連載第21回で、バハマが世界で初めて一般利用型中央銀行デジタル通貨の正式発行に至ったことを紹介しました。バハマ同様、ブロックチェーンや分散型台帳技術の利用という点で現在注目を集めている国として、カンボジアも挙げられます。

カンボジアと「ドル化」

カンボジアには、以前IMF(国際通貨基金)の一員として訪れたことがあります。世界遺産アンコールワットで世界的に有名な国であり、首都プノンペンは、メコン川とトンレサップ川が合流し再び2つに分かれるという、珍しい「X字型」の結節点に位置する美しい街です。

同時にカンボジアは、ポル・ポト時代の大虐殺など、苦難の歴史を経てきた国でもあります。ポル・ポト政権が貨幣制度そのものの廃止を図るなど、政策混乱の負の遺産が大きいこともあり、これまで独自通貨リエルへの信認を獲得することはなかなか難しかったため、国内で自国通貨に代わり米ドルが広く流通する、「ドル化(Dollarization)」の進んだ国としても知られています。私が訪れた際にも、レストランやカフェでは、メニューは当たり前のように米ドルで値段が記されていました。

「IMFを通じた日本の技術支援活動等に関する年次報告書」(2009年度)より抜粋

カンボジアのBakong(バコン)

現在、このカンボジアによる、ブロックチェーン・分散型台帳技術(DLT)に基づく新たな決済インフラである“Bakong”(バコン)の構築が注目を集めています。

「バコン」とは、カンボジアにある有名なヒンドゥー教寺院の名称です。世界的に、ブロックチェーンや分散型台帳技術に関する公的プロジェクトのタイトルには、カナダのジャスパー、シンガポールのウービン、香港のライオンロック、タイのインタノンなど、各国の有名な自然公園や遺跡の名称が採られることが多くなっています。「バコン」もその1つといえます。

©️ Arian Zwegers

昨年(2020年)10月28日に稼動を開始したバコンは、国内銀行や近年新たに参入している支払サービス業者、さらにはマイクロ・ファイナンス業者などを包含する決済インフラで、日本企業ソラミツが開発した“Hyperledger Iroha”という分散型台帳技術の基盤が使われています。これにより、カンボジアの人々がQRコードなどを用いて簡便に送金を行えるようにすることを狙っています。©️ The National Bank of Cambodia

カンボジアでは、銀行口座を持たない人がなお相当数いる一方で、携帯電話やスマートフォンの普及は急速に進みました。カンボジアの人口約1,500万人に対し、携帯電話やスマートフォンの契約数はこれを上回り、既に約2,100万件に上っています。これらを活用し、一気に「金融包摂」、すなわち、人々の金融サービスへのアクセスを推進したい意向が背景にあります。このような事情は、多くの新興国・途上国で共通しています。

カンボジア中央銀行は、モバイル決済“M-Pesa”で有名なケニアや、フィリピン、南アフリカ共和国などのデジタル決済の事例を研究しながら、バコンの設計を進めました。

カンボジア中央銀行によれば、バコンは「中央銀行デジタル通貨」ではありません。バコンはあくまで、国全体をカバーする業態横断的な共通アプリの構築などを通じて、既に構築済みの“FAST System”など既存のデジタル決済インフラの相互運用性を高め、その使い勝手を向上させるインフラであると説明されています。したがってバコンは、民間金融機関が提供している米ドル建て決済手段と自国通貨リエル建て決済手段を、ともにカバーするものとなります。とりわけ、これまでインフラが未発達であった国内通貨リエルについて、便利な決済インフラを用意することでその利用を促し、ひいては政策の独立性を確立していきたいとの意向も表明されています。

©️ The National Bank of Cambodia

バコンへの登録には、カンボジアの国民IDカードまたはパスポート、さらに電話番号が必要となります。バコンを通じた取引の1回当たりの上限金額などは、各人がバコンの利用に際し契約をする銀行などによって定められます。

カンボジア中央銀行は、これまでカンボジアでは個々の銀行や企業がバラバラにインフラを構築しており、インフラ間の相互運用性が乏しく不便であったため、中央銀行がインフラの共通化を主導する必要があったとも述べています。そのうえで、バコンという共通インフラの上で、銀行や民間企業が創意工夫を活かして決済サービスを向上させていくことを期待しており、中央銀行自身がバコン構築により民業を圧迫する意図はないのだと、繰り返し表明しています。

デジタル技術と新興国のキャッチアップ

以前お伝えしたバハマの「サンドダラー」(第21回参照)にしてもカンボジアのバコンにしても、当局がブロックチェーン・分散型台帳技術といった新技術の応用に正式に踏み切ったのが、いずれも新興国であったのは興味深い点でといえます。

先進国では、往々にして既に確立されたインフラがあり、新しいインフラを構築する場合、これとの競合や利害関係の調整が課題となります。さらに、「既存の中央集権型のインフラが安定的に機能している中で、なぜ敢えて分散型の技術を使わなければならないのか」という議論にもなりやすいのです。加えて、自国の金融政策などマクロ政策や金融システムへの影響も問われることになります。

この点、カンボジアでは、そもそも自国通貨リエルの代わりに米ドルが広く流通している状況であり、もともと独自の金融政策の余地は殆どありませんでした。したがって、バコンを通じてリエルの利用が高まれば、自国の金融政策の有効性は高まりこそすれ、これ以上低下することは考えにくいわけです。

デジタル技術はその性質上、容易に国境を超えます。さらに、「オープンソース化」などの流れも反映し、新興国や途上国も含めた幅広い国々が、先進国とあまり変わらない条件で、新しい技術にアクセスできるようになっています。加えて、新興国や途上国の方が、既存のレガシーの軽さゆえに、新技術にトライしやすい面もあるわけです。このような事例は、ブロックチェーンや分散型台帳技術に限らず、近年、ケニアのデジタル決済“M-Pesa”やルワンダのドローン活用など、さまざまな分野でみられるようになっています。

このデジタル化の時代、新たな技術の応用が、これまであまり注目されてこなかった地域で急速に進む可能性には、日本としても注目していく必要があると感じています。

 

連載第25回「貿易のデジタル化」(3月3日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。