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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第79回 デジタル時代の経済制裁

2022年04月06日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

ロシアのウクライナ侵攻に伴う経済制裁が注目を集めている。デジタル時代の経済制裁の特徴について、元日銀局長の山岡浩巳氏が解説する。

ウクライナ侵攻に伴うロシアへの経済制裁が注目を集めています。経済制裁は、他国への侵略など、容認できない行動をとる国に経済的なダメージを与えることで、対象国の翻意を促すとともに、事態の拡散や同様の事態の再発を防ぐことを狙うものです。

経済制裁のメカニズム

経済制裁自体は、ナポレオンの「大陸封鎖令」のように、かねてから使われてきた手段です。その方法として、かつては「モノ」の流れを断つ方法が主にとられました。対象国に重要な物資を売らないことでその物資を欠乏させたり、その国の主要な輸出品を買わないことで輸出収入を減らすことを狙うわけです。

経済学は、協力と分業が双方に利益をもたらすと説いています。したがって、経済制裁による協力関係の切断は必然的に、制裁側にも不利益をもたらす「両刃の剣」となります。また、制裁に加わる国々が一部にとどまる場合、制裁対象国は他国との間でモノを売ったり買ったりできるため、制裁自体が効きにくくなります。さらに、経済制裁が効果を挙げるには、ある程度の時間がかかるのが普通です。

デジタル時代の金融制裁

今回の対ロシア制裁でも、このような経済制裁の基本的な性質は分析の枠組みとして引き続き有効ですが、同時に、以下のような新たな特徴もみられます。

まず、今回、SWIFTからのロシア7銀行の排除など、金融が主要な手段として用いられたことです。

輸出の約半分を原油や天然ガスに頼るロシアへの制裁として最も効果的となり得るのは、ロシアの原油や天然ガスを買わないことです。しかし、これはまさに「両刃の剣」であり、欧州などへの影響が大き過ぎ、国際的な合意は困難でした。この中で今回、モノに代わりお金の流れをターゲットにする制裁が行われたわけです。

ロシアの輸出品(2019年)出所:Harvard Center for International Development

また、このような金融面の措置が各国により前倒しでアナウンスされ、金融市場がこれに速やかに反応した結果、今回の経済制裁は過去の経済制裁と比べ、効果が比較的早めに出た部分があるように思えます。2月24日のウクライナ侵攻直後から、ロシアの通貨ルーブルは急落し金利は急騰、株価も下落し、モスクワ証券取引所は取引を停止しました。これらはロシア企業の資金調達にも直ちに影響を与え、ロシアの中央銀行は銀行セクター向けに緊急融資を行っています。

もちろん、このような金融制裁は、一部国による独自のインフラ構築を促してしまい、中長期的に世界の金融インフラの分断や「サイロ化」に繋がってしまうリスクもあるため、濫用されるべきではありません。もっとも今回に関しては、国際社会が広く金融制裁に同調したこともあり、金融市場のリアクションを通じて早めの効果発現に結び付いた面があるでしょう。

情報発信の競争

また、ウクライナ大統領がウェブを通じて各国議会で演説を行うなど、デジタル媒体を通じた情報発信競争が行われています。爆撃の状況なども、メディアやネット媒体で日々報じられています。

古今東西、「情報を隠そうとする側の方が胡散臭い」というのは、多くの人々が共通して感じることです。現在のデジタル媒体の発達は――もちろん時に情報操作のような問題も生じるわけですが――総じてみればウクライナの経済面や軍事面での不利を補い、広範な国々や主体の支持を速やかに集める方向に働いているように思います。

民間企業の行動

さらに、今回の特徴として、経済制裁と並行して、アップル、マクドナルド、ディズニー、ナイキ、アディダス、IKEAといった多くの世界的企業が速やかにロシアでのビジネスからの撤退や一時中止を決めたことも挙げられます。このことも、経済制裁の比較的早期の効果発現に結び付いています。

この背景としては、前述のようなデジタル媒体を通じた情報の拡散や、SDGs・ESGの潮流などを指摘できます。企業としては、ロシア市場を失うことは収益にはマイナスであっても、中長期的に世界の消費者から支持されることをより重視するようになっています。

イエール大学の研究者は、既に500以上の企業がロシアビジネスから退出しているとして、そのリストを作成しています。さらに、最近では企業を6段階に分け、企業のロシアビジネスからの手の引き方に関する評価まで行っています。もちろん、このようなリストの作成方法には賛否両論があるでしょう。例えば、企業の中には、ロシアに居住する駐在員や留学生などのためにサービスを継続しているインフラ企業などもあります。とはいえ、今や世界企業は、このような世論も強く意識して行動しなければならなくなっています。

経済外交と通貨の信認の重要性

デジタル化の下でも、経済制裁が被制裁国と制裁国との両方にダメージをもたらすことに変わりはありません。やはり、戦争の発生自体を回避することが大事であり、そのためにも、価値を共有できる国々との経済関係を日頃から強化していくことが重要です。

筆者が欧州に勤務していた1990年代半ば、欧州大陸国は共通通貨ユーロの導入に取り組んでいましたが、欧州大陸の外側ではなお、シニカルな見方が根強くありました。その代表的な見解は、財政政策を統合できない中で通貨だけを統合することは難しいというものでした。

確かに、経済理論からみれば、財政規律の緩んだ国が財政赤字を膨らませた場合、独自通貨であれば通貨下落や金利上昇に直面しやすくなりますが、統一通貨のもとではそうした市場の規律が働きにくくなり、損失が他国に転嫁され得るといえます。実際、そうした問題に根ざす対立はユーロ圏内で時に起こっています。

しかしながら、当時の欧州大陸国の通貨統合の決意は、経済判断を超えるものであったと感じます。二度の世界大戦を経験した欧州は、再び欧州、とりわけ独仏を戦場にしてはならず、そのためには戦争を起こそうなどと考えられなくなるほど経済的な結び付きを強くしたいとの願いが、通貨統合の取り組みを支えてきたといえます。

経済安全保障はもちろん重要ですが、これはあらゆるものを自給することではありませんし、この言葉が形を変えた保護主義として使われることは適当ではありません。そもそも、各国との経済協力や分業関係を縮小すれば、相当な成長率の低下を覚悟しなければなりません。例えば、ユーロを導入したバルト3国(ラトビア、リトアニア、エストニア)の経済が近年堅調であったのに対し、今回制裁の対象となっているロシア連邦とベラルーシの経済は不芳が目立っていました。

ロシア、ベラルーシおよびバルト三国の成長率(%)出所:国際通貨基金

さらに、各国経済が分断されサイロ化すれば、むしろ戦争を起こしやすい状況が生まれてしまいます。やはり、価値を共有できる国々との間で経済面での協力関係を強固にしていくことが、安全保障にも資するように思います。

さらに、自国通貨の信認をしっかりと確保していくことが、経済安全保障の観点からも重要となります。

戦争や経済制裁は、物資の確保を巡る競争を激化させる方向に働きます。この中で、資源が乏しい上に通貨も脆弱な国は、調達競争でも不利な立場に置かれがちになりますし、「他の国々でも作れるものを、自国通貨安を利用して安く輸出する」といった産業構造を持つ国は経済安全保障の観点からも脆弱です。逆に、通貨の信認がしっかり確保される中、技術力などを使って他国には作れないものを作り、世界中に供給している国は、経済安全保障の観点からも頑健といえるでしょう。

 

連載第80回「ロシア経済の特殊性」(4月13日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。