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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第21回 デジタル通貨の発行国が登場

2021年02月03日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

デジタル通貨の発行については多くの論点があるが、この中で、意外な小国がデジタル通貨の発行にこぎつけることになった。元日銀局長の山岡浩巳氏が解説する。

IT化やデジタル革命を巡る話題の一つの焦点が、「マネーのデジタル化」(第6回第8回第9回第10回第11回第15回参照)です。世界では、米国の“GAFA”や中国の“BAT”のような「ビッグテック」と呼ばれる巨大企業が、デジタルマネーの分野に次々に参入しています。この中で、これまで紙の銀行券を発行してきた中央銀行も、紙に代わるデジタルの通貨を発行してはどうかという「中央銀行デジタル通貨」の議論が、大きな盛り上がりをみています。

しかし、中央銀行デジタル通貨の発行は簡単ではありません。これが銀行預金からの資金シフトを起こせば、銀行の貸出原資が減ってしまうかもしれません。また、中央銀行がデジタル決済のインフラにまで自ら手を伸ばせば、民間主導のイノベーションを阻害しかねません。世界で最も早く、2016年から中央銀行デジタル通貨の検討を始めたスウェーデンでも、なお、その発行に踏み切るには至っていないのです。

この中で、意外な国が、中央銀行デジタル通貨の正式な発行にこぎつけました。カリブ海に浮かぶ小国、バハマです。

バハマ、デジタル通貨「サンド・ダラー」を発行

バハマは、人口約35万人の小さな島国であり、米ドルとペッグ(為替レートを固定)したバハマ・ドルが法定通貨とされています。このバハマは昨年10月20日、中央銀行デジタル通貨「サンド・ダラー」(Sand dollar)の正式発行を開始しました。 “Sand dollar“とは、”Sea cookie”とも呼ばれるウニやヒトデの仲間の動物で、バハマ中央銀行のシンボルマークにもなっています。このような、バハマを象徴する生き物の名前が、中央銀行デジタル通貨の名称として採用されました。

Sand Dollar

バハマ中央銀行のシンボルマーク

 

サンド・ダラーの特徴

サンド・ダラーは、銀行などの「認定金融機関」(Authorized Financial Institution, AFI)が提供するウォレットアプリ(”e-wallet”)、またはカードを通して、以下の3種類のアカウントにより提供されます。それぞれのアカウントには、性質に応じて保有額に上限が課されています。

Individual I:銀行口座を持たない人々や非居住者、旅行者向けのアカウント。銀行口座との紐づけはできない。残高上限は500バハマ・ドル、月当たりの取引量上限は1,500バハマ・ドルと厳しい。一方で本人確認などの要求は厳しくない。

Individual :現在の銀行口座に相当する、通常の個人用アカウント。銀行口座との紐づけができる。残高上限は5,000バハマ・ドル。月当たりの取引量上限は10,000バハマ・ドル。

Commercial:高額の決済用に使える一方で本人確認義務などが厳しく課せられる、法人のビジネス用のアカウント。銀行口座との紐づけが義務付けられている。残高上限は保有者の性質に応じて8,000~1,000,000バハマ・ドル。取引量に上限はない。

人々や企業は、ウォレットアプリを提供する金融機関(AFI)を選び、これを経由してサンド・ダラーを利用することになります。もちろん、異なる企業が提供するウォレット間であっても、サンド・ダラーによる送金を可能とすることが目指されています。もっとも、そのような完全な相互運用性を実現していくためには、今後、参加する民間企業がプラン通りにネットワークを構築していくことが必要です。
 カリブ海の島国にとって常に問題となるのは、ハリケーンによる風水害や停電です。このことも踏まえ、サンド・ダラーは、ウォレットがオフラインになっても、ウォレット同士で送金を行うことが可能となるよう設計されており、このために分散型台帳技術が利用されています。

一方で、海外送金にはそのまま使うことができません。海外送金を行いたければ、サンド・ダラーをいったん預金に替え、銀行を経由して送金する必要があります。

サンド・ダラーを使えるウォレットを提供する金融機関(AFI)は、現時点では6社と限定的ですが(下図)、今後はより多くの民間企業を巻き込みながら、発行を拡大していく計画になっています。また2021年前半には、行政・公共サービスにおいて、サンド・ダラーを積極的に利用していく予定になっています。

サンド・ダラーのe-walletを提供する金融機関

 バハマ中央銀行は、サンド・ダラー発行の目的として、決済のコスト削減や効率化に加え、銀行サービスに十分アクセスできていない人々に決済手段を提供する「金融包摂」(financial inclusion)の推進を掲げています。究極的には、バハマに住む全ての人々がサンド・ダラーを利用できることが目指されています。バハマ政府は本年1月からサンド・ダラーに関するウェブサイト(www.SandDollar.bs)を立ち上げ、バハマの人々への情宣活動に努めています。同時にバハマ中央銀行は、現金を廃止するつもりはないとも明言しています。

なお、サンド・ダラーについては、取引情報の秘匿に留意されながらも、反マネーローンダリングのために必要な措置を採り得るよう設計されており、現金のような完全な「匿名性」を有しているわけではありません。

デジタル化はとりわけ小国にチャンス

中央銀行デジタル通貨については、多くの国々が検討を強化していますが、現段階では、正式な発行に踏み切った先進国はまだありません。この中で、小国バハマが先んじて正式発行に至った理由は、どこにあるのでしょうか。

もちろん、バハマ固有の要因があります。例えば、スウェーデンのような先進国が中央銀行デジタル通貨を検討する場合、「自国通貨への急激な資金流入が生じて為替レートが急変するリスク」なども考えなくてはなりません。この点、バハマ・ドルはそもそも米ドルにペッグしている通貨であり、金融政策の独自性はもともとありませんので、その分、考えるべきことが少なくて済む面はあります。

また、デジタル化が技術格差を埋める方向に働く面もあります。デジタル技術は基本的に、国境などの地理的制約を受けにくいものです。以前の本コラム(第18回参照)でご紹介した“GitHub”の例が示すように、デジタル技術に関する情報格差は、国境を越えて急速に解消しつつあります。また、ソフトウエア企業が自らのプロダクトを海外に提供することも、ユーザーが海外のサプライヤーからソフトウエアを調達することも、いずれも容易になっています。

さらに、小国の方が「負のレガシー」の影響を受けにくいことも挙げられます。急速な技術革新の下では、既存のインフラが「負のレガシー」化しやすく(第2回第3回参照)、また、既に経済発展を遂げてきた国ほど、過去に蓄積したインフラが膨れ上がりやすい面があります。一方、小国にとっては、今から現金を流通させるために銀行店舗やATM網を構築するよりも、一足飛びにデジタル化に向かう方が、コストを節約しつつ一気にインフラをキャッチアップさせられる可能性が広がります。

日本としても、このような動きに十分関心を向けながら、自らのインフラ整備に取り組んでいく必要があるでしょう。

 

連載第22回「デジタルデータの囲い込み」(2月10日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。