米国の中央銀行であるFRB(連邦準備制度)を巡る最近の話題と言えば、米国の急速な物価上昇の中、インフレ対応に舵を切っていることです。米国がインフレを抑制できるかどうかは世界経済にも影響の大きい問題ですので、関心を集めるのも当然でしょう。同時に、もう一つの話題として、FRBが1月20日、中央銀行デジタル通貨に関する報告書(“Money and Payments: The U.S. Dollar in the Age of Digital Transformation”)を公表し、広く意見を求めたことも挙げられます。 中央銀行デジタル通貨を巡っては、中国が「デジタル人民元(e-CNY)」(第6回参照)の実証実験を国内主要都市や北京冬季五輪の会場で試験的流通を行うなど、非常に目立つ動きをしている中、米国はこのような動きを冷静に見ていました。今回、いわば満を持して公表した報告書の背景および内容を見ていきたいと思います。
©︎Board of the Governors of the Federal Reserve
通貨インフラの議論をリードしてきた米国
米国はこれまで、通貨インフラを巡る国際的な議論をリードしてきました。
米国で2つの連邦準備銀行の総裁を務めたジェラルド・コリガン氏が、1982年と87年に著した2つの「コリガン・レポート」(「銀行は特別な存在か?」および「金融市場の長期的展望」)は、中央銀行員の誰もが一度は読む「バイブル」のような存在です。このレポートの中では、通貨・決済インフラこそが金融システムの核であり中央銀行機能の根幹であることが、わかりやすく解説されています。
通貨インフラを巡る国際的議論の中心となり続けてきたのが、筆者も所属していた国際決済銀行(BIS)の決済・市場インフラ委員会(CPMI)です。この委員会はコリガン・レポート公表後の1990年に設立されましたが、初代議長のウェイン・エンジェル氏を含め、歴代議長9名のうち実に4名が米国出身です。歴代の米国人議長を長年支えてきた米国代表のジェフ・マルカット氏は、各国代表からレジェンドのように尊敬されていました。
このように通貨インフラの議論をリードしてきた米国が、中央銀行デジタル通貨に関する各国の動きを静観していた背景には、自国通貨ドルが既に世界の圧倒的な基軸通貨である中、特に焦る必要はないという事情もあります(第38回参照)。同時に、米国は、中央銀行デジタル通貨を巡る論点や難しさを熟知しているからこそ、様子を見極めながら慎重に動いているように思います。
米国におけるデジタル通貨の議論
米国でも近年、中央銀行デジタル通貨に関し、議論はさかんに行われてきました。
2019年に公表が計画された、フェイスブック(現在メタ)が主導していたデジタル通貨計画「リブラ」に対しては、米国議会から強い警戒感が示されました。同年秋に議会に呼ばれたフェイスブックのザッカーバーグCEOは、「デジタル決済は未来の重要分野であり、アメリカがこの分野をリードしなければ他国がリードするだろう。そして、民主主義や基本的人権を伴うサービスが勝つ保証はない」という刺激的な発言を行いました。このような流れの中、米国議会では「中国がデジタル人民元を導入するならば、米国も対抗策を考えなければ」といった発言をする人々も出てくるようになりました。
FRBのボードメンバーの中にも、このような政治サイドの発言に同調するような発言をする人が出てきました。もっとも、FRBから発信される見解の多くは、中央銀行デジタル通貨のメリットとデメリットを慎重に見極めようというものでした。例えば、クオールズ副議長(当時)の、「中央銀行デジタル通貨の発行やその計画は、民間主導のイノベーションを阻害してしまうかもしれない」、「中央銀行デジタル通貨は、銀行預金や銀行システムに影響を及ぼし得る」といった発言が挙げられます。ボードメンバーのウォーラー氏は、「中国がデジタル人民元を出すからといって、海外企業がわざわざ中国政府に監視されるためにドルの代わりに人民元を使いたがるとは思えない」と、より踏み込んだ解説を行っています。
バランスの取れたデジタル通貨報告書
今回公表されたデジタル通貨報告書は、FRBとしてデジタル通貨を発行するかどうかは全く未定であると念押ししています。そのうえで、中央銀行デジタル通貨がもたらし得るメリットとデメリットの両面を記載しています。
この報告書は、中央銀行デジタル通貨がもたらし得る潜在的な利点として、未来のニーズや要請に応えるものとなれる可能性や、国境を越えたクロスボーダーでの支払決済を便利にし、ドルの国際的な役割を支えられる可能性を指摘しています。さらに、貧困層などへの決済サービスの普及を進め、人々がリスクのない支払手段にアクセスしやすくなる可能性も記述しています。
その一方で、この報告書は、中央銀行デジタル通貨がもたらし得るリスクも指摘しています。まず、銀行預金を減少させ、金融の構造を変えてしまうリスクや、危機時に銀行預金からの資金流出を加速させてしまうリスクなどを指摘しています。さらに、加えて、中央銀行デジタル通貨を出す場合、人々のプライバシーやデータをどう守るか、サイバー攻撃をどう防ぐかなども考えなければならないとも述べています。
22の質問
デジタル通貨報告書はその末尾で、以下のような22の質問を掲げ、これらへの意見を本年5月22日までに広く求めています。
1. 報告書でカバーされていない中央銀行デジタル通貨の利点やリスク、論点にはどのようなものがあるか?
2. 中央銀行デジタル通貨が潜在的にもたらし得るベネフィットの中で、中央銀行デジタル通貨以外の方法を用いた方が、より実現しやすいものはあるか?
3. 中央銀行デジタル通貨が金融包摂にもたらす効果は、プラスとマイナスのどちらが大きいか?
4. 中央銀行デジタル通貨は金融政策の有効性に影響を及ぼすか?
5. 中央銀行デジタル通貨は金融の安定にどのような影響を及ぼすか? その影響はプラスとマイナスのどちらが大きいか?
6. 中央銀行デジタル通貨は金融セクターにマイナスの影響を及ぼし得るか? その影響は、ステーブルコインやノンバンクの発行する決済手段とどう違うのか?
7. 中央銀行デジタル通貨が金融セクターに及ぼし得る影響を緩和する方法はあるか? これらの方法は、中央銀行デジタル通貨の潜在的なベネフィットも減らすことになるか?
8. 現金の利用が減れば、その代わりに広く使える中央銀行債務を発行することは重要か?
9. 中央銀行デジタル通貨がなかったとしても、国内および国際的なデジタル決済は発展するか?
10.他の経済大国が中央銀行デジタル通貨を発行する決定を、米国は考慮すべきか?
11. この報告書でカバーされていない中央銀行デジタル通貨に伴うリスクを制御する方法はあるか?
12. 中央銀行デジタル通貨は、完全な匿名性を与えずに消費者のプライバシーを確保できるか?
13. 中央銀行デジタル通貨はどのようにオペレーションの頑健性を確保し、サイバーリスクに対処できるか?
14. 中央銀行デジタル通貨は法貨(legal tender)となるべきか?
15. 中央銀行デジタル通貨には付利されるべきか?
16. 中央銀行デジタル通貨の保有額に制限を設けるべきか?
17. 中央銀行デジタル通貨の仲介機関にはどのような主体がなるべきか? また、これらの主体はどのような役割を果たし、どのような規制下におかれるべきか?
18. 中央銀行デジタル通貨は「オフライン」でも使えるべきか?
19. 中央銀行デジタル通貨は売買場所での利便性や受容性を最大化するように設計されるべきか?
20. 中央銀行デジタル通貨を複数の支払決済プラットフォーム間で利用可能とするにはどうすればよいか?
21. 未来の技術革新は中央銀行デジタル通貨のデザインに影響を及ぼし得るか?
22.中央銀行デジタル通貨を設計する上で他に考慮すべき原則はあるか?
何と言っても米ドルは世界の圧倒的な基軸通貨ですし、デジタル通貨を巡るアメリカの議論は、世界の議論にも大きな影響を与え得るものです。これら22の質問に、米国内からどのような意見が寄せられるのかが注目されます。
連載第71回「北京オリンピックでのデジタル通貨」(2月9日掲載予定)