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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第49回 ベネズエラの混迷

2021年08月25日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

ハイパーインフレの中で暗号資産を自ら発行したベネズエラ。その背景について、元日銀局長の山岡浩巳氏が解説する。

筆者がかつて勤務していた国際通貨基金(IMF)には、世界中から190か国という、国連加盟国(193か国)に近い数の国々が加盟しています。これだけ多くの国々が加盟していますと、IMFとの関係が良好な国も、そうでない国も存在します。 IMFの加盟国は原則として毎年、IMF協定第4条に基づき、IMFの調査団を「コンサルテーション」として受け入れる決まりになっています。しかし、中には「IMFには加盟しているが、調査団には来てほしくない」という国も存在します。その典型がベネズエラであり、2004年を最後に現在まで17年間もIMF4条コンサルテーション調査団を受け入れていません。

ハイパーインフレーションと「ペトロ」

豊富な石油埋蔵量で知られるベネズエラは、かつては産油国として中南米でも豊かな国として知られていました。しかし近年では、財政赤字の増加などを背景に通貨への信認が低下し、ハイパーインフレーションが進んでいます。

ベネズエラの政府債務残高対GDP比率(%)ベネズエラのインフレ率(%)出典:国際通貨基金

 ハイパーインフレーションの進行に伴い、経済の停滞も目立っています。

ベネズエラの実質成長率(%)出典:国際通貨基金

このような厳しい状況の中、ベネズエラのマドゥロ大統領は201712月に暗号資産「ペトロ(Petro)」を発行する方針を発表し、2018220日に発行に踏み切りました。

ペトロの発行に際し、ベネズエラ当局は「ホワイトペーパー」(政府が作成する報告書。白書)を公表し、ペトロがベネズエラの豊富な石油資源を裏付けにしていると強調しています。そのうえで、ブロックチェーンなどの新しいデジタル技術の活用によるデジタルエコノミーの振興などの目的を喧伝しています。一方、ペトロが石油と兌換可能かどうかについては記述がありません。

©️Venezuelan State

ここからみて、ベネズエラによるペトロ発行の真の目的は、自国通貨ボリバル・フエルテ(当時)がハイパーインフレーションで信認を失う中、目先を変えた通貨を発行することで、物資調達のための購買力を確保することにあったと考えられます。もちろん、海外諸国もそう捉えますので、ペトロでの対価の支払いに応じるはずはありません。結局ペトロは対外的な取引には使われず、ベネズエラ当局が公務員給与の支払いや行政関連手数料における強制的な利用などを通じて、国内に無理やり流通させるにとどまっています。現在、国内で現在最も使われているのは、自国通貨やペトロではなく、米ドルとなっています。

紙幣の供給制約とデジタル化

ペトロが発行された2018年には、ベネズエラ政府はハイパーインフレーションの進行の中、当時の通貨ボリバル・フエルテの10万分の1のデノミネーションを行い、新たに「ボリバル・ソベラノ」を発行しています。

もっとも、その後もインフレーションは鎮静化せず、本年8月、ベネズエラ政府はさらに100万分の1のデノミネーションを行い、「ボリバル・デジタル」という、「デジタル」という名を付した新たな通貨を発行することを公表しました。

このように、ベネズエラ当局が「デジタル」を繰り返し喧伝する背景には、紙幣の供給制約も働いていると考えられます。

日本では紙幣は国立印刷局で製造していますが、海外では、今や多くの国々が紙幣の製造を民間企業に委託しています。そうした企業の中でも有名なのが英国のDe La Rue社です。De La Rue社はベネズエラからも紙幣の製造を請け負っていましたが、経済制裁の下でベネズエラ当局はDe La Rue社への支払いを履行できず、同社は多額の損害を被ることになりました。

そうなると、ベネズエラ当局は紙幣の製造をDe La Rue社に委託できなくなくなり、限られた紙幣の供給能力の範囲内に紙幣の需要を抑える必要に迫られます。ベネズエラ当局の「デジタル化」の喧伝も、実は紙幣の不足を凌ぐためという面が大きいと考えられます。

「デジタル化」への教訓

このようなベネズエラの状況は、いくつかのデジタル化への教訓を与えるものでもあります。

近年、資産を裏付けにすることで価値の安定を図る「ステーブルコイン」や、さまざまな資産をデジタル技術でトークン化した「NFT」(Non-Fungible Token)などが注目を集めています。石油を裏付けにしていると主張される「ペトロ」も、少なくとも表面上は、これに近いものを目指したとみることができます。

しかし、ステーブルコインやNFTについては、原資産や裏付け資産に本当に価値があるのか、これらがデジタル化された資産やトークンとしっかり結び付けられているのか、いざという時の交換などは可能なのかといった、スキームの頑健性を問われることになります。ベネズエラのペトロは、この点において取引相手の信認を得ることはできませんでした。

また、国の政策運営そのものへの信認が失われた場合、単にブロックチェーンや分散型台帳技術などのデジタル技術だけでは、信認を取り戻すことはできません。

デジタル技術は、もともと価値の乏しい資産や問題のある資産に、価値を付けてくれるものではありません。ましてや、放漫な政策運営によって失われた信認を埋め合わせてくれるものでもありません。「デジタル化」、「DX」は確かに重要なテーマですが、一方で宣伝文句に使われやすいものでもあり、その根底にある価値や信認については、慎重に見極めていくことが大事です。

 

連載第50回「感染症の経済モデル」(91日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。