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ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第23回 データは誰のものか

2021年02月17日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

デジタル時代の主役を担うデータであるが、実は、「データは誰のものか」はかなりの難問である。元日銀局長の山岡浩巳氏が解説する。

 SF映画の名作『ブレードランナー』をもとに、その30年後の世界を描いた続編『ブレードランナー2049』が、数年前に制作されました。その重要な前提となった設定とは、アンドロイド(レプリカント)にとって自らの権利を守るために最も重要だったのが自分のデータの消去であったことです。

データは石油とどう違うか

「21世紀の石油」と言われるデータが石油とは異なる特性を持っていることは、前回(第22回)でもご説明しました。「使っても減らない」、「保管に場所を取らない」、「たくさん集めるほど限界的な効用も高まり得る」ということです。しかし、さらに法律の観点からは、石油と異なり複製が容易であり、「誰のものか」といった法的な権利の対象になりにくいという特徴もあります。2017年に経済産業省が公表した「データの利用権限に関する契約ガイドライン」でも、「データは無体物であって民法上の所有権の対象ではない」と明言されています。

しかし、データが広範な経済活動の中核となりつつある現在、データを巡る権利の問題が、大きな議論の対象となっています。データは、個人の尊厳やプライバシーを脅かすものとして慎重な保護が求められると同時に、多くのデータを束ね、これを極力オープンにし、広範な主体が共有できるようにすることで、社会の発展や人々の効用増加につながる面もあるからです。一方、石油については、それ自体がプライバシーの問題を内包するわけではありません。特定の人しか費消できないという排他性ゆえに、「オープンな利用」も考えにくいわけです。

現在みられる、米国のGAFAや中国のBATといった「ビッグテック企業」への監視強化の傾向も、結局は「国を超える規模に成長した巨大企業がデータを独占することへの警戒」を象徴していると言えます。「データは誰のものか」という問題は、現在の技術環境の下での経済や産業構造を大きく左右する問題にもなりつつあります。

データに関する「権利」とは

通常の財についても、その「所有権」の内容は、「自由に使える」、「売れる」、「担保化できる」などさまざまです。データについても、「利用を止められるか」、「使い方の是正を要求できるか」、「データを返してもらうことができるか」、「誤ったデータの修正を要求できるか」など、広範な論点が考えられます。

これらの論点は、人々が生活の中で日々直面するものになっています。刻々画面に現れるネット広告が、自分のどのような購買履歴データをもとに配信されているのかわからない。では、広告を止めることができるか、広告配信のもとになっている自分の購買履歴データを使うなと言えるか、さらにデータを消去してくれと言えるか、などの論点が出てくるわけです。

医療データにおけるエストニアの事例

この問題が最も先鋭的な形で表れるのが、医療データです。医療データは非常にセンシティブな個人情報ですが、同時に、これを集計し活用することは、適切な医療の実施や健康的な生活の推進、さらに感染症対策などに必要不可欠です。加えて、患者が病院を転々としてきているような場合、過去、どのような診断や処方を受けてきたのかを把握することは、適切な診断を行う上で重要となります。 この点、世界最先端のIT先進国として以前ご紹介したエストニア(第1回第2回第3回参照)では、医療においてもe-Healthと呼ばれる先進的な仕組みを構築しています。この仕組みの中核である「健康情報システム」の下、人々の医療データは99%がデジタル化され、電子IDに紐付けられます。このシステムにより、人々がたとえ複数の病院を転々としていても、医療データを時系列的につなげることができます。 人々は「患者ポータル」を通じて自分の医療データにアクセスできます。また、新しい医師にかかる時には、患者はデータへのアクセスをこの医師に許可し、治療が終わるとアクセスを終了させることになります。このような仕組みは、医療データは基本的には患者のもの、という発想の上に成り立っています。あわせて、医療データはきわめてセンシティビティの高いものであり、高度なセキュリティ技術で守っていくと説明されています。例えば、自分の医療データにこれまで誰がアクセスしたかを各人が全て把握できるように設計されています。 同時に、緊急時には医師が救急医療に必要な患者のデータ、例えば、血液型やアレルギー、現時点での服薬の有無などのデータにアクセスすることが認められています。また、匿名化された集計データを、行政機関が統計作成や感染症の追跡、政策効果の検証などに用いることも可能です。このように、通常の財の「所有権」とは異なる、データの特性に照らした取り扱いが指向されています。

これからの方向性

このような事例も示す通り、データは石油のような従来型の財とは性質が異なる点が多く、したがって、「排他性」など、これまでの財の性質に基づいている既存の所有権の考え方を当てはめようとしても、なかなかうまくいかないのです。やはり、データという財の特質を踏まえた新しいルールを構築していく必要があります。もちろん、これは必ずしも立法という手段に限られるわけでなく、標準契約の整備といった方法もあり得るでしょう。

重要なことは、「個人の特定が容易であり、生活などへの影響が大きいデータについては個人のコントローラビリティを尊重する」一方で、「匿名性がしっかりと確保され個人が特定できず、かつ社会にとって有益なデータはオープンな利用を進めていく」という、2つのニーズを両立させていくことです。この面で、法的な検討には大きなフロンティアが広がっていると言えますし、同時に、認証やID、匿名性確保などのセキュリティ技術の活用も不可欠です。

 

連載第24回「カンボジアの新しいインフラ」(2月24日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。