Phone: 03(5328)3070

Email: hyoe.narita@humonyinter.com

ポストコロナのIT・未来予想図

ヒューモニー特別連載3

第10回 デジタルマネーと民間の役割

2020年11月18日 掲載

筆者 山岡浩巳(やまおか・ひろみ)  

マネーのイノベーションの鍵は民間のイニシアチブだ。中央銀行デジタル通貨に長く関わり、現在は民間企業などによる「デジタル通貨勉強会」の座長を務める元日銀局長・山岡浩巳氏が解説する。

前回まで、フェイスブックが主導するリブラや中国のデジタル人民元の取り組み、米国のGAFAや中国のBATなどの“BigTech”のデジタル決済への参入、それらが各国による中央銀行デジタル通貨(CBDC)の検討を促していることを紹介してきました。では、CBDCについて、現在どのような方向での検討が行われているのでしょうか。

直接発行型中央銀行デジタル通貨

CBDCのわかりやすい姿として考えられるのは、中央銀行が全国民に直接デジタル通貨を発行し、あらゆる取引をカバーするというものです。いわば、全国民が中央銀行に口座を持ち、商店で買い物をすると、買った人の中央銀行口座から商店の中央銀行口座に、買い物の金額分の残高が移転する、といった形です。

しかし、この場合、「決済用の銀行預金はもう要らない」と考える人々が市中の銀行の預金を引き出して中央銀行口座に移し、結果として預金が大幅に減ってしまうかもしれません。預金の役割は、銀行振込や振替、口座引落しなどの決済機能を果たすだけではありません。預金を通じて集められたお金は、貸出の原資となり、企業の運転資金や設備資金、個人の住宅ローンなどの原資となっています。CBDCが発行されたために、企業や個人が貸出を受けられなくなってしまうのでは困ります。だからといって、中央銀行が自ら企業や個人のリスクを評価してお金を貸すことは現実的ではありません。仮にそうしたことをすれば、資源配分の歪みや統制経済化といった問題が起こってしまいます。

また、「国民全員が中央銀行に口座を持つ」という形態では、個人が商店で日々の買い物をするなどの日常取引のデータまで、全て中央銀行に集まってしまいます。データの活用がこれからの経済のDX(デジタル・トランスフォーメーション)にとって鍵となる中、中央銀行が取引データを独占し民間による利用を難しくしてしまうことは、経済全体にとって望ましくないでしょう。

間接発行型中央銀行デジタル通貨

実際、中国人民銀行や欧州中央銀行、日本銀行を含め、CBDCについて検討を行っている中央銀行の殆どは、上述のような考え方を踏まえ、「国民全員が中央銀行に口座を持つ」といった「直接発行型」ではなく、民間銀行などを経由して発行する「間接発行型」を想定しています。これにより、民間によるデータの活用やイノベーションを推進したいと考えているわけです。

「間接発行型」では、中央銀行は個人や企業に直接デジタル通貨を供給するのではなく、民間銀行などに対してデジタル通貨を発行します。そして、このデジタル通貨を個人や企業に配る役割は民間銀行などが担います。国際的な議論では、「間接発行型」の代わりに、しばしば「シンセティックCBDC」、「ハイブリッドCBDC」などの用語も使われますが、基本的な構造は同じです。

もちろん、現在でも中央銀行は民間銀行などに中央銀行預金(リザーブ)を供給し、民間銀行はこれを元に預金を供給しています。このような現在の仕組みと、間接発行型CBDCとはどう違うのかが、一つの論点となります。この点については、「預金は民間銀行の債務だが、間接発行型CBDCは中央銀行の債務である」という説明が行われています。

「現金だけを代替し、預金を侵食しない」ことは可能か?

しかし、このような仕組みを現実に設計することは容易ではありません。

まず、民間銀行が「自分の債務である銀行預金」と「中央銀行の債務であるCBDC」を並べて提供するのは、一般の人々にとって、かなりわかりにくい姿になりそうです。とりわけ、現在のように預金金利が殆どゼロに近い状況では、両者の区別は容易ではありません。そうなると、「預金よりもCBDCで持っていた方が良い」と考える人々も増え、預金はかなり減少するかもしれません。

もちろん、各国もこの問題を十分に認識しており、CBDCの検討に際しても、これが現金だけを代替し、預金はなるべく侵食しないようにする設計が課題となっています。この観点から、一人が保有できるCBDCの額を制限してはどうかといったアイディアも出されています。

しかし、現在流通している現金については、その保有額に制限はありません。このことは、現金と預金が常に一対一で交換できる背景となっています。一方で、CBDCの保有額に制限を設けると、CBDCに「希少性」が生まれてしまいますので、預金や現金と1対1で交換できないケースが生じ得ることになります。そうなると、CBDCの価値が振れてしまい、決済手段としての利便性が影響を受けかねません。

このように、CBDCの発行を巡っては、解決されるべき多くの課題が残されています。だからこそ、主要国はなお、CBDCの正式発行には至っていないわけです。

マネーインフラを左右する民間の取り組み

マネーのインフラは歴史を通じて、民間と公的主体が協力して創り上げてきました。手形や小切手、電信送金、自動口座引落し、クレジットカード、ATM、QRコード決済など、マネーや決済を巡る大きな歴史上のイノベーションは、その殆どが民間によって進められたものです。

現在の状況のもとで、中央銀行がCBDCを発行したからといって、それでマネーの課題が全て克服され、インフラが革新されるわけではありません。例えば、中央銀行が自ら、さまざまなニーズに対応できるプログラムをCBDCに組み込んだり、CBDCに紐づけたポイント制度を運営したり、中央銀行が一般市民について自らマネロン対策やKYC(顧客確認)を行うことは現実的ではありません。

マネーのイノベーションの多くは、やはり民間に委ねられています。ビジネスニーズに応じたマネーの多機能化や最先端セキュリティ技術の活用、プラットフォーム間の相互運用性の向上、マネロン対策やKYC対応などは、主に民間で取り組むべき領域です。今後、仮にCBDCが正式に発行されたとしても、これがマネーインフラ全体の利便性向上に結び付いていくかどうかは、民間の役割にかかっている部分が大きいのです。

筆者が座長を務める「デジタル通貨勉強会」では、CBDCについて特定のスタンスは持っていません。CBDCを発行するか否かを決めるのは、あくまで中央銀行です。我々としては、民間と中央銀行の取り組みがプラスの相乗作用を起こしながら、日本のマネーインフラのイノベーションが進むことを願っています。

 

連載第11回「デジタルマネーと通貨の競争」(11月25日掲載予定)

■ヒューモニー特別連載3 ポストコロナのIT・未来予想図

写真/ 山岡浩巳
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

山岡浩巳(やまおか・ひろみ)

フューチャー株式会社取締役
フューチャー経済・金融研究所長

1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。