新型コロナウイルス感染症の拡大は、各国の経済に大きな爪痕を残しています。経済活動は人と人との接点から生まれるものですので、感染症拡大抑制のために人間同士の物理的な接触を制限すれば、経済に影響が及ぶという「トレードオフ」は避けられません。実際、2020年中、主要国の中でプラス成長を実現できたのは中国だけであり、それ以外の国々の成長率は、軒並み大幅なマイナスとなりました。
しかし、その一方で各国の株価は急速な回復および上昇をみています。この点についてはさまざまな見方がありますが、代表的なものとしては、「各国で巨額の財政出動が行われ、民間の購買力として蓄積されているため、これが株式投資も含め、何らかの形で支出に回ることが織り込まれている」といった見方が挙げられます。あるいは、「感染症拡大が各国でデジタル化を加速させており、その成果を株価が先取りして織り込んでいる」といった見解も多くみられます。株価上昇の原因を科学的に特定するのは常に困難ですが、現実にはこれらの要因が複雑に絡み合っているとみるべきでしょう。
世界の株価出所:日本銀行「金融システムレポート」(2021年4月)
もちろん、新型コロナウイルスに対するワクチンが1年弱という短期間のうちに開発された背景にも、情報技術の進歩が大きく寄与したわけですが、以下ではより広く、コロナ禍がIT化やデジタル化に及ぼした影響について、整理してみたいと思います。
「行政のデジタル化」への関心の高まり
感染症拡大の中で、一つの特徴的な動きとしては、「行政のデジタル化」に関する人々の関心が大きく高まったことが挙げられます。
感染症の経済への影響の特徴としては、まず、人と人との物理的な接触が大きく制限されるため、これに依存する産業への影響がとりわけ厳しくなるなど、セクター毎に影響が大きく異なることが挙げられます。また、その影響が売り上げなどに直ちに表れることも特徴です。このため、政策対応においても、スピードと柔軟性が強く求められます。
各国において、このような迅速かつ柔軟な政策対応のため、デジタル技術の活用が強く求められました。この中で日本では、10万円の給付金の配布においてマイナンバーが十分に機能しなかったことが、世論の激しい批判を招きました。昨年秋の自民党総裁選において、3候補が皆、行政のデジタル化推進を主要課題として掲げていたのは印象的であり、その後「デジタル庁」創設に向けた動きが急速に進むことになりました。
また、行政のデジタル化競争の中で、さまざまな問題があぶり出されることにもなりました。とりわけ日本の場合、マイナンバーの使途がもともと限定されていることや、これと預金口座との紐付けがもともと求められていないこと、根強い押印文化、物理的な会合を前提とする株主総会など、さまざまな論点が噴出しています。これらの論点が急激にクローズアップされた背景にも、感染症への対応という問題意識が強く働いていることは明らかです。
経済活動の変容
また、感染症の拡大は、「人と人との物理的接触を避けながら、経済社会的な接点は維持する」という観点から、デジタル化・リモート化対応を強く要請します。例えば、「対面教育が大事」とは言っても、リモート教育のインフラがそもそも無ければ、感染症拡大は教育の機会そのものを奪ってしまうことになりかねません。
従来、IT技術を取り込んでデジタル化・リモート化を進めようとしても、「リモートワークを進める上では労働法規のクリアが大変」、「紙やハンコを無くすのは関連法や規制のため大変」など、さまざまな反対論が出されることも多かったと思います。しかし、感染症という生命のリスクは、「本当に重要なこと」をあぶり出す面があります。押印事務のために、感染のリスクを負いながら、通勤ラッシュの中を出勤しなければならないのかと。そして、リモートワークにしても、「思い切って踏み切ってみたら、意外とできた」という部分は大きかったように思います。
このような経済活動の変容は、さまざまな副次的効果をもたらしています。例えば、家族の転勤に伴い退職をしなければならないと考えていたが、リモートワークの拡大により退職をしなくても良くなった、といったケースです。
もちろん、感染症により、貴重な対面での学びの機会を犠牲にしている学生さんなども多くいらっしゃいます。感染症は、対面の機会の貴重さを再認識させるものでもあります。この中で、ペーパーワークや押印事務についても、「貴重な対面の機会を割り当てるに値する事務かどうか」という観点から、包括的な見直しが行われるべきでしょう。
人類は経済社会を回し続けてきた。
歴史を振り返っても、人類はさまざまな感染症を経験してきました。中世の黒死病(ペスト)はその典型であり、中世から近代にかけて、英国や欧州を繰り返し襲ったとされています。
ただ、データが入手可能な英国の中世以降の経済成長率をみると、黒死病などの感染症の後、成長率が長期にわたり大きく落ち込んでいるようには見えません。感染症は大変な災厄ですが、人類はそのたびに新しい成長のドライバーを見つけ、構造転換を果たしながら経済を回し続けてきたようです。
過去700年間の英国の一人当たり成長率 ―後方10年加重平均―出所:イングランド銀行資料に筆者が加筆
もちろん、だからといってコロナ禍の経済への影響を楽観視して良いわけではありませんし、ましてや、まだ実現されていないIT化・デジタル化の成果を成長予測や歳入予測に織り込むといった「取らぬ狸の皮算用」は禁物です。
また、欧州人が南米に持ち込んだ感染症によりアステカ文明・インカ文明が滅亡した際、欧州に持ち帰られた大量の銀は荘園領主の経済力を削ぎ、経済の担い手を大きく変えました。このことを踏まえても、今回のコロナ禍を受け、その後の各国経済には、感染症への対応やデジタル化への取り組みいかんにより、パフォーマンスにかなりの差が生じてくる可能性も考えられます。
例えば、世界的なレストランの予約サイト“Open Table”のデータから各国のレストラン予約件数(前年比)をみると、感染拡大を比較的抑え込んでいる豪州ではレストランの予約が堅調である一方、抑え込みに苦闘している国々では、行動制約を解除するとレストランの予約が急増し、その後の感染再拡大を受けて再び行動制約を課す、といった動きを繰り返しているケースがみられるなど、昨年3月から4月頃の状況に比べ、国によりパフォーマンスがかなり異なってきています。
日本としても、今回のコロナ禍を契機に、長年踏み込めなかった企業慣行や取引慣行などにようやく踏み込めた部分も数多くあったわけですし、課題も多くあぶり出されました。この機会を活かし、IT化・デジタル化の遅れを一気に取り戻し、人々の利便性向上や経済の発展につなげていくべきでしょう。
連載第34回「デジタル化と財政」(5月5日掲載予定)