コロナ禍の中、感染防止の観点から多くの大学がリモート形式での授業を余儀なくされています。
もちろん、教育の中には対面でこそ得られるものもあり、リモート教育だけという状況は、学生さんにとってはストレスフルと思います。一方で、感染防止と教育の両立を図らなければいけない現状では、リモート教育の環境の不備は、学びの機会そのものを奪ってしまうことにつながります。学生さんのためにも、とにかく「リモート教育をなるべく良いものにしていく」ことを考えなければなりません。
この点、私が2019年の9月に訪問した北欧では、コロナ禍の前から、デジタル技術を活用したリモート教育の拡充に取り組んでいました。この背景としては、いくつかの要因を指摘できます。
多様な年齢構成とリカレント教育
日本の教育では基本的に、ある年の4月2日から翌年の4月1日までに生まれた、ほぼ同じ年齢の若者が同級生となり、この仕組みが保育園や幼稚園から大学まで続きます。したがって、大学の入学年齢も似通っています。
これに対し北欧諸国々では、「年齢別」という縛りがもともと日本よりも緩やかであり、また、一度社会人になってから大学に行く人々も多いのです。このため、大学入学者の平均年齢も、日本よりはるかに高くなっています。
実際、北欧諸国の当局者は異口同音に、「リカレント教育」の重要性を語っていました。
国の経済が持続的に発展し、人々の生活を支えていく上では、技術進歩や、これによって生じる構造改革に対応していく必要があります。自動車の時代になっても、いつまでも馬車産業にこだわっていては、いずれ経済そのものが困窮してしまいます。
一方で、人間はコンピューターと違って、ソフトウェアを瞬時に入れ替える訳にはいきません。御者が直ちに車は運転できないわけで、「構造改革」を唱えるだけでは人に優しい社会とはいえません。構造改革と教育はセットで考える必要がある、というのが北欧諸国の発想であり、そこで重要になるのが、いったん社会人になってから再度大学に行き、そこで先端的な知識を再び身につけられる「リカレント教育」です
もっとも、とりわけリカレント教育では、「時間の制約」が問題になります。リカレント教育を受けるかなりの人々は、生活の糧を得ながら教育も受けることになるわけで、平日の昼間に常に教室に来られるとは限りません。
このように、「同年齢」にとらわれず、時間もフレキシブルに設定できる学びの機会を提供する上で、IT技術を活用したリモート教育は有益な可能性をもたらすものとなります。
教育の機会均等
もう一つの問題としては、「教育の格差」が挙げられます。
例えば、最近流行りの「外国語重視」についても、海外留学や高額な学校への通学ができる子弟が有利となれば、親の所得水準が高い子供がこれまで以上にアドバンテージを受けることになり、親世代の経済格差が子の世代まで影響してしまいます。このような教育機会の格差の問題は、IT教育でも生じ得ます。先端的なIT技術をわかりやすく教えられる人は、それほど多くないからです。
この点、リモート教育の活用により、教室の定員や地理的条件に制約されずに、最先端の教育を多くの人々に届けることが可能になります。すなわち、人々の教育への「包摂(inclusion)」に役立ちます。
北欧の取り組み
北欧諸国では、人材育成こそが将来の国の発展を決めるとの問題意識の下、デジタル教育の充実に大変な努力を行っていました。
電子国家化を進めるエストニアでは、その中核として“e-Education”および”e-School”に取り組んでいます。まず、原則としてエストニアの全生徒をカバーするデータベースである“EHIS”が2005年から稼働しています。あわせて、エストニア政府は“e-Schoolbag”というポータルを構築しています。これらにより、生徒の出欠確認や先生との宿題のやり取り、先生による生徒の評価、学業記録の管理、大学の出願などを全てデジタルベースで行うことができます。その結果、学校の教職員の教育以外の事務にかかる負担は約半分に軽減されているとのことでした。さらに、当局はこのデータベースから得られる情報を、教育制度の改善などに活用することができます。
またエストニアは、既に2015年の段階で、2020年までに教科書などの学校教材を完全にデジタル化する目標を立て、取り組んできています。これは、教育費の負担軽減や環境負荷軽減に役立つと考えられています。
エストニア当局は、これらのデジタル教育の取り組みは、COVID-19の感染拡大の中で教育の機会を確保する上でも大いに役立ったと評価しています。
クラスワークなどにICTを「常に」、または「しばしば」使う中学教員の割合。単位:%出所:2018年OECD調査
エストニア同様、教育のIT化が進んでいることで知られるフィンランドでも、生徒を網羅的にカバーするデータインフラ(ヘルシンキではWilma)が整備されています。
またフィンランドでは、教育のIT化とともに、社会人が再び教育を受ける「リカレント教育」が重視されていたことが印象的でした。技術革新の著しい時代の中で、産業の栄枯盛衰は避けられず、この中で、人々が再教育を受け、最先端の知識を装備して労働市場に戻れるようにする必要があること、かつて携帯電話の雄であったノキア社が、携帯電話分野を大胆に切り離し、5Gのリーディングカンパニーに脱皮することができたのも、このようなリカレント教育の充実による部分が大きいことが強調されていました。
デジタル技術の教育への活用
このように、IT先進国といわれる北欧諸国が重視している教育機会の保証と教育格差の是正、年齢の枠を超えた教育の多様性の確保、リカレント教育の拡充、教育改善のためのデータの活用、ITによる教員の負担軽減などは、すべて日本にとっても重要なテーマです。このことを踏まえ、北欧の経験に照らし、日本にとっても重要と思われることを、いくつか記したいと思います。
まず、「とにかくIT化にお金を使えばよい」という訳ではないということです。
IT先進国とされる国々はいずれも、健全財政の確保に努め、この面でも優秀な国々ばかりです。これらの国々は、コストを節約し効率的な行政や事務を実現するためにITを活用してきました。「ITを導入したらむしろ全体の支出が増えてしまった」、「学校の先生や行政職員の仕事が大変になってしまった」というのでは、IT化の意味がありません。費用対効果をしっかり検証しながら進める必要があります。
次に、「IT化だけを考えてはいけない」ということです。
リカレント教育の拡充や教育の格差是正はいずれも、IT技術だけではなく、必要な制度の見直しやインフラ面でのサポートがあってこそ、はじめて実現できるものです。この点が見過ごされれば、例えば、ネットの回線環境や自宅での学習環境が有利な子供がリモート教育でも有利という話になってしまい、別の教育格差が生まれてしまいます。
もう一つは、「リモート教育と対面教育を対立的に捉えない」ということだと思います。
対面教育とリモート教育に、それぞれ長所と短所があるのは当たり前であり、それぞれが補い合いながらベストな教育を追求していくことが重要です。とりわけ現在の状況の下では、対面教育にリモート教育よりも優れた点があることは、リモート教育の環境を整備しない理由にはなりません。さらに、日本においてデジタル技術を活用して教育の格差是正や先生の負担軽減、リカレント教育の拡充などを図る余地は、他国と比べても大きいように思われます。「コロナ禍後の教育をそれ以前よりも良いものにしていく」という観点から、デジタル技術の積極的な活用を考えていくべきでしょう。
連載第21回「デジタル通貨の発行国が登場」(2月3日掲載予定)