ニューノーマル時代の大学

ヒューモニー特別連載2

最終回 コロナ禍を奇貨として

2020年09月18日 掲載

筆者 渡邊隆彦(わたなべ・たかひこ)  

「教育におけるDXは進めるべきだし、進めざるをえない」。EdTech(教育とテクノロジーの融合)の可能性と課題を考える、渡邊隆彦准教授“最終講義”。

「リモート大学」と「新型リアルキャンパス大学」。
前2回では、ニューノーマル時代の大学像として極端な2方向を提示しました(第9回第10回参照)。そのココロは、アフター・コロナ時代を迎えた時に、単に「復旧」しているだけでは、社会全体が悪戦苦闘したこの半年の稀有な経験を「ドブに捨てる」ようなものだと考えるからです。 日本では、大規模な自然災害や新型コロナのような災厄があった場合、単なる復旧(旧に復する=以前とそっくりな状態に戻すこと)を目指しがちです。しかし、「復旧+変革」を成し遂げてこそ、災厄を奇貨として、そこから学んだことを活かして次なる危機に対してレジリエントな社会態勢をつくりあげたとはじめて言えるのではないでしょうか。

この半年で「有無を言わさぬデジタル化」が曲りなりにも進んだのですから、大学に関しても、コロナが収束した際に元通りの「単純なリアル大学」に戻してしまうのは、いかにももったいないではありませんか。 私は、教育におけるDX(デジタル・トランスフォーメーション)をいっそう進めるべきだし、進めざるをえないと考えます。理由は以下の通りです。

①日本では自然災害が多発し、今後は新たな感染症拡大も予想されるが、いかなる時でも学びを止めないようにするためには、DXを活用して「教育の受け手・送り手双方が、時間と場所を柔軟に設定できる体制」を整えておくしかない。 ②留学生の送り出し・受入れを推進してクロスボーダーでの学生の往来を活性化させる、人生100年時代を見据えて社会人のリカレント教育(学び直し)に本腰を入れる、といった「政策」を進めるのであれば、現状の大学インフラでは不十分であり、DXで体制補強することが必要。

③コロナ禍を機にライフスタイルの多様化が進み、教育の受け手(学生)においても送り手(教員および職員)においても、首都圏への一極集中志向が弱まり、都市居住者と地方居住者にバラける可能性がある。その場合、少なくとも部分的にはDXを活用した教育が必要であろう。

金融界ではFinTech(金融とテクノロジーの融合)が進んでいます。金融を「情報産業」のひとつと認識し、金融サービスを「デジタルコンテンツ」として捉え直す動きです。

ひるがえって、EdTech(教育とテクノロジーの融合)はどうでしょうか。

大学講義を「デジタルコンテンツ」として捉え、データ資産として活用することは、日本の大学ではほとんどできていません。だからこそ、教育を「情報産業」と認識してEdTechを進めることによって得られる「伸びしろ」は大きい、とも言えます。

FinTechで起きていることは、EdTechに対してさまざまな示唆を与えてくれます。

①他の外部主体(IT企業)との競合、あるいは協働の可能性。

大学がIT企業の知見をうまく取り込むのか、あるいは「庇を貸して母屋を取られる」のことわざどおり、大学がIT企業に取り込まれてしまうのかはわかりませんが、アメリカの大手IT企業(GAFA)が、教育産業をヘルスケア産業と並んで「変革余地の大きい、将来的な旨みのあるビジネス」と捉えていることは事実のようです。

②デジタル・ディバイドの発生可能性。

個人として持つITインフラが貧弱、あるいはITリテラシーが不十分、といった「デジタル弱者」がサービスから疎外される(=サービスにアクセスできない)可能性があります。その半面、さまざまな障碍を持つ学生にとっては、EdTechを活用することで、従来の「対面中心サービス」よりも格段に教育を受けやすくなる、というメリットがります。教育においては「Leave No one Behind」(誰も置いてきぼりにしない)ことは極めて重要なことのひとつであり、EdTechはその実現に大きく貢献し得るでしょう。 ③地方にとってアゲンスト/フォロー両方の可能性。

FinTechが進む日本の金融界では、ネットバンキングサービスは差別化しづらいこともあり、相続時を中心に預金が地方銀行から都心部のメガバンクに流出してしまう「地方にとってのアゲンスト」面と、今までは埋もれていた地方の名産品を、ネットを使って地域商社機能を発揮することにより商機に繋げる(ビジネス・マッチング)ような「地方にとってのフォロー」面が現出しています。大学教育においても、地方活性化に結びつくのか、それとも地方の衰退に拍車がかかるのかは、現時点ではわかりません。

さて一方、この連載でも触れてきたとおり、大学教育はそもそも「コンテンツ提供」だけで成り立っている訳ではありませんので、DX一辺倒では数多くの課題が生じます。

その課題は第10回で列挙しましたが、教育でのDXに関し日本のはるか先を進んでいるアメリカでは、課題が顕在化した実例があります。日本ではあまり伝えられていない、「MOOCの失敗」です。

一言でいえば、アメリカのMOOC(Massive Open Online Courses:大規模公開オンライン講座)では、「学習に対する意欲を高めることができず、最後までコース修了する者の割合が極めて低かった」のです。学習には社会的な要素があり、学生は他の学生と席を並べて講義に出席することによって、良い影響を受けます。同じ知的訓練を受ける「仲間」の存在や、リアルな「教員」との触れ合いは、大きなモチベーションであり、講義を途中で投げ出さないための大きな手助けになります。MOOCでは学生のモチベーションを保つことができず、失敗に終わったようです。

「学習意欲のない学生であっても居酒屋バイトの傍ら適当にやっていればコース修了できる大学が日本では多いのだから、アメリカのMOOCの話は日本では参考にならない」「アメリカにも“パーティー大学”(勉学よりも遊んでばかりいる大学)があって、対面方式だろうがMOOC方式だろうが、卒業証書は簡単に手に入る」といった意見があることは承知しています。

しかし、教育でのDXに関し、日本が「他の先進国と比べてトラック3周遅れ」であることを現実として認めるのであれば、他国におけるDXの失敗事例を分析して「他山の石」とし、「ネットの得手・不得手」をよくよく念頭に置いたうえで、教育分野のDXに対して賢明な投資(ワイズ・スペンディング)をしていくべきです。

私の個人的なお気に入りである「新型リアルキャンパス大学」についても、越えなければならない山はいくつもあります。 もっとも高い山は、高額な学費がかかりそうな点です。教育に限った話ではありませんが、仮に感染症流行が長期化すれば、「フィジカルな場を使っての体験」は、ソーシャルディスタンス確保や定員制限を伴うことから、必然的にレアリティ(希少価値)を帯びるようになります。結果、新たな格差問題が発生する可能性があります。貧しい学生は「リモート大学」に入る一方、裕福な学生だけが、学費の高い、希少価値をもった「新型リアルキャンパス」に通う、といった二極化現象です。この点については慎重な議論が必要でしょう。

私自身は、ITの向上やDXで改善あるいはカバーできる問題と、そうではない問題を峻別しながら、大学の教育の質を高めていくことを考えていくつもりでいます。

今春からのコロナ危機においては、表層的には「大学のキャンパスに学生が通えなくなった」ことが問題になりましたが、より本質的で深刻な問題は、学生にとっての「社会性」や「人間同士の関係性」が崩壊・喪失したことでした。私は、中長期的には「学びの場をどんな方法で提供するのか」「リアルなキャンパスでなければ出来ないことは何か」といったニューノーマル時代における大学のあり方を引き続き考察する一方、日々学生と共に過ごす時間においては、学生の人間性・人的関係性・社会性といった「人間の本質的な内面」が損なわれぬよう、気を配っていこうと思います。 最後に本連載を読んでくださっていた学生の皆さんへ。

在学中の学生の皆さんは、「ロックダウン世代」などとネガティブな言葉で呼ばれることもあるようですが、私としては、「英雄世代」として胸を張って欲しいと思います。前アメリカ大統領のバラク・オバマは「これまでのやり方はこうだったと説教する人はもういない。これからの世界は君たちが作る」と呼びかけ、人気司会者オプラ・ウィンフリーは「選ばれた人たちです。パンデミックが壊した日常を元に戻すのではなく、よりよいものに進化させてください」と訴えています(2020年6月2日「日本経済新聞」春秋より)。

あなたたちは、小学校から中学にかけての成長期に東日本大震災も経験し、「社会のためにいろいろなものをシェアしなければならない」というマインドを根底に持つ、人に優しく、変化への耐性を持つ人たちだと思います。無いものねだりをすることなく、自分の利益と他者にとっての利益を合計して考えることができる、「持続可能な社会」を実現できる世代です。

大学ということに関して言えば、コロナ禍を機に「ひとりで考える時間」を有効活用して「自分は大学で何をつかみたいのか」、ぜひ見つめ直して欲しいと思います。

もちろん、心理面・精神面で困っている学生たちは、われわれオトナがサポートします。

皆さんは、気負わず弛まず、前を向いて自分の信ずる道を進んでいってください。
(構成/鍋田吉郎)

*   *   *

 今回で渡邊隆彦准教授の連載『ニューノーマル時代の大学〜教育はリモートでどう変わるか?〜』はいったんお休みします。

これほどまでに大学の未来に真摯に向き合い、そして何より学生愛に満ちた准教授(せんせい)と出会えたことは、ヒューモニーとしても非常に大きな財産となりました。そんな貴重な方を「はい終了」とそのままにしておくつもりはありません。「特別寄稿」なり「ウェビナーでのご登壇」なり、あるいは「連載再開」なり、折に触れてお誘いし続けようと思います。

渡邊先生、ありがとうございました。

これからの大学像はどうあるべきか、大学をどう変えていくべきか――本連載が読者の皆様の思考のスイッチになったとしたら幸いです。

ご愛読ありがとうございました。(ヒューモニー編集部)

 

*大学と一口に言っても、実験や実習が欠かせない工学系・医薬系や、実技が不可欠の体育系・芸術系、また人文科学系でもフィールドワークが必須の分野など、事情は様々です。本稿は、講義とゼミナールを主軸に置く人文科学系の教員から視たものとご理解ください(筆者より)。

*ここに記す内容は渡邊隆彦准教授個人の見解であり、渡邊准教授の所属する組織としての見解を示すものではないことをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。

鍋田吉郎(ライター・漫画原作者)

なべた・よしお。1987年東京大学法学部卒。日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。

■ヒューモニー特別連載2 ニューノーマル時代の大学

写真/ 渡邊隆彦
レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

渡邊隆彦(わたなべ・たかひこ)

専修大学商学部 准教授

1986年東京大学工学部計数工学科卒、92年MIT経営大学院修了。三菱UFJ銀行(現)にてプロジェクトファイナンス、デリバティブ開発・トレーディング、金融制度改革、投資銀行戦略、シンジケートローン業務企画、IFRS移行プロジェクト等を担当後、三菱UFJフィナンシャル・グループ コンプライアンス統括部長、国際企画部部長を歴任。2013年4月より専修大学にて教鞭を執る。専門は国際金融、企業ガバナンス・コンプライアンス、金融規制・制度論、ファイナンス論、金融教育。国際通貨研究所客員研究員。