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コスパで測るコロナ下の学校教育と大学受験

ヒューモニー特別連載4

第3回 学費無償化のコスパを担保するためには

2020年11月28日 掲載

筆者 赤林英夫(あかばやし・ひでお)  

「厳格すぎる入試はコスパが悪い」「奨学金や学費無償化は“社会のコスパ”の視点で仕組みを考えるべき」――教育経済学の第一人者・赤林教授が、日本が目指すべき大学の姿を掘り下げる。

前回、「学費無償化で投下した税金を無駄にしないためには、大学入試のあり方や大学の教育課程を戦略的に見直す必要がある」と述べました。では、どのように見直すべきか考えてみたいと思います。

厳格すぎる筆記試験は大学を疲弊させる

コロナウイルス危機という「外圧」により、今後、大学入試において「厳格な筆記試験」を中心に据え続けるのはますます難しくなっています。実際、事実上の二次試験の中止を発表した横浜国立大学を始め、多くの大学が、筆記試験の縮小・中止を発表しています。新しい共通試験もどこまで予定通り実施できるか予測がつきません。

(参考)「106大学、入試方法変更へ コロナ影響、実技中止も 朝日新聞・河合塾共同調査」(朝日新聞2020/9/10)

(参考)「都市封鎖まで想定 コロナ対応で入試のシミュレーションを重ねる各大学」(毎日新聞2020/11/28)

従来、大学入試は、本人の努力や能力が正確に反映されるべき、評価は厳格かつ公平であるべき、ということが言われてきました。そのため、学校からの評価書や面接よりも筆記試験が重視され、出題にミスがあると大学はお詫びをし、社会的制裁を受け、結果、大学はさらに出題内容のチェックに人と時間を使うことになります。

しかし、大学教員は入試問題作成のプロではありません。大学での研究とは、答えが見つからないかもしれない課題に挑戦することだからです。設問を易しすぎず難しすぎず作成し、過去問との重複がないか、出題ミスがないかチェックすることなど、大学教育の本質とは大きく外れており、高校や予備校に勝てるはずはありません。

「東大らしい良問」、「出題ミスはあってならない」、「模範解答を公表すべき」などと言った世間の評価や圧力は国際的には無意味で、それを際限なく求められことは大学にとってコスパがあわず、研究や教育のための時間と労力を削がれることは著しいことを知ってほしいと思います。

大学入試は「適当」でよい

コロナ後の大学入試は、「適当でよい・厳格でなくてよい」とする方向に転換すべきと思います。

それは同時に、大学の権威(という言い方が悪ければ大学の評判や存在意義)を、入試の厳格さから解放することです。「入試に良問を作る」ことなど国際的には大学の仕事ではないのですから、そこに世間の大学に対する評価が付随することは害悪でしかありません。前回述べたように、大学が個別筆記試験で入学者を選抜している日本はガラパゴス状態であることを知るべきなのです。

AO・推薦入試が増えると、「学力がつかない」、「基準が不明確」、「対策が立てにくい。どう準備したらよいか分からない」という意見もありますが、私は、極論すれば、これからの日本は従来型の筆記テストでの学力が下がってもかまわないと思います。 そもそも、社会で必要なスキルとして、ペーパーテストでの学力の相対的地位は下がってきています。人生における暗記の必要性は減っており、それよりも、ネット上の膨大な情報から、根拠のある(フェイクではない)情報を適切に探す能力が求められています。「正解の記憶」よりも「正しく見つける」ことが重要ですが、日本の学校教育は、その分野に力を入れているとはいえません。

2018年のOECD国際学力比較調査(PISA)では、「異なる立場から発信された複数の情報から必要な情報を探し出したり、それぞれの意図を考えながら、主張や情報の質と信ぴょう性を評価した上で、自分がどう対処するかを説明したりする問題」の正答率が低かったとされています(下記文部科学省資料より)。

(参考)OECD 生徒の学習到達度調査2018年調査(PISA2018)のポイント(文部科学省)

また、日本は、「学校の授業でデジタル機器を利用しない」と答えた生徒の割合は8割でOECD加盟国では最多、学校外でコンピュータを使って宿題をする頻度がOECD加盟国中最下位である一方で、ネット上でのチャットやゲームを利用する頻度の高い生徒が極めて多いのです。以下の図を見てください。日本一国だけが右上にポツンといます。これでは、ゲームはすれどもパソコンで情報を探すスキルはつかないでしょう。

(図)PISA2018にもとづく、OECD諸国での「学校でパソコンを使って宿題をしたことはほぼ全くない」と回答した生徒の割合と「学校外で一人用のゲームを毎日する」と回答した生徒の割合

ゆるい入試と入学後の厳格さは車の両輪

努力の結果が厳格に評価されない大学入試は不公平、という声もあるでしょう。努力は評価されなければなりませんが、大学も高校生も入試に使うエネルギーを大学に入ってからの勉強に使うべきでしょう。

そして大学は、学生の学習を今より厳格に管理し、ついてこられなければ最初の1年で選別するのです。入学時の2分の1の学生が1年後に留年か退学、程度でちょうどいいでしょう。

その際に必要なのは、学生が1年目から本当に学びたい分野の勉強できることです。自分が学びたい勉強で成果が上げられず退学するのであれば、納得がいくでしょう。オンライン教育は教室の物理的キャパシティを越えることができるので、最初の1年目に使うのが最適です。オンラインであれば、学科や学部の定員をゆるめ、学生には好きな科目を好きなだけ勉強させられます。日本では、高校までの学力で大学や学部を選ばせ、1年目は本来の専攻とは異なる教養や語学の科目が多いのですが、これは本末転倒です。 前回議論した無償化や奨学金もここで関係してきます。

大学1年生はオンライン教育中心だとすると、学費を低めに設定し、同時に、無償化の対象を絞ってよいでしょう。1-2年目の厳しい選別を乗り越えたら、キャンパスでの授業を増やし、学費も上げますが無償化の対象も一気に広げます。必要に応じて追加的奨学金も提供し、3年目以降に金銭的理由で退学の危機に瀕することはないようにします。卒業間際の退学は、社会にとっても大きなロスになるからです。東大でも医学部でもこのような方法をとれば、高校レベルの筆記試験の勉強だけを何年もする人は減るでしょう。

米国の大学院入学後の競争

このような提案は、私の体験に基づく部分もあります。経済学部出身ではない私が、数年の社会人生活のあとに、米国の経済学大学院に入学できたのは、「おおざっぱ」な入学基準のおかげでした。

しかし、入学してからの競争は熾烈でした。私を含めて水増しされて入学した学生が多かったこともあり、1年目の必修科目の総復習の試験の合格率は60%程度、不合格でも再チャンスはありますが、多くの学生は別の大学院にいったり就職を目指したりしました。納得のいく形で公平にふるいにかけられたからです。最終的に博士号をとったのは、入学時の人数の4分の1程度でした。

最初から学費を減免されている学生もいましたが、それでも1年目の成績が悪ければ退学、そこで浮いた資金は3-4年生の生活費奨学金などに利用されます。そこでの資金の回し方はとても戦略的で、その点で、欧州も米国も同じです。しかし、日本の奨学金制度や学費無償化政策は非常に事務的で、そのような発想は見られません。

「入学しやすく卒業しにくい」大学の意味

努力が反映されない入試はある意味理不尽です。自分が入りたい大学には入れない人が増えるでしょう。しかし、そこは完全なる発想の転換が必要です。

入試がいい加減になること、いわゆるエリート大学にも、受験エリートではない「えたいのしれない」学生が溢れることでしょう。もちろん、基礎学力は1年目にチェックしますが、高校までの教科書的な勉強ではなく、真の学問でふるい落とされるので、納得がいくはずです。

それにより、現在のような、高校教育の内容にもとづく入試問題の難易度や入学する学生の偏差値による大学のランクは、意味がなくなるでしょう。大学の存在意義は、学生の偏差値ではなく、教育の厳しさ、そこをくぐり抜けた卒業生の知識とスキル、そして、研究水準の高さで測られることになるでしょう。さらに、大学ごとにカリキュラムや卒業認定を統一すれば、どこの大学に入っても同じ教育を受けられることになります。結果として「不本意な大学への入学」はほぼなくなり、「何を学ぶか」だけが問題になります。 それが、欧米の大学制度に近いシステムです。学費の無償化とは、それぐらい入学試験や教育課程の細かい設計とセットである必要があります。

無駄に厳密な入学試験は、それが将来の社会で必要なスキルとどれぐらい結びついているかと関係なく、自己権威化します。大学側も高校側も、そして予備校側もすべて共犯関係です。入学してしまえばほぼ卒業できる大学では、その間のスキルもあまり上がりません。その結果、大学教育は社会に役立っているのか、という疑念が生じます。

入試をいい加減にすると、運不運で、入試の結果に差が出ます。それを不公平だ、という人も多いでしょう。しかし、その運不運が、性別や出身地などに対する偏見やバイアスに基づいていなければ、「しかたない」、「それはそれで公平」、とも言えます。社会はそもそも、そのような運不運に満ちあふれています。それを前提に、再チャレンジをしたくなる、それができる社会の方がよほど希望に満ちあふれてはいないでしょうか。

 

※ここに記す内容は所属団体と離れ、赤林英夫教授個人の見解であることをご承知おきください(ヒューモニー編集部)。

 

連載最終回「大学9月入学のコスパを考える」(125日掲載予定)

鍋田吉郎(ライター・漫画原作者)

なべた・よしお。1987年東京大学法学部卒。日本債券信用銀行入行。退行後、フリーランス・ライターとして雑誌への寄稿、単行本の執筆・構成編集、漫画原作に携わる。取材・執筆分野は、政治、経済、ビジネス、法律、社会問題からアウトドア、芸能、スポーツ、文化まで広範囲にわたる。地方創生のアドバイザー、奨学金財団の選考委員も務める。主な著書・漫画原作は『稲盛和夫「仕事は楽しく」』(小学館)、『コンデ・コマ』(小学館ヤングサンデー全17巻)、『現在官僚系もふ』(小学館ビックコミックスピリッツ全8巻)、『学習まんが 日本の歴史』(集英社)など。

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レイアウト/本間デザイン事務所

筆者

赤林英夫(あかばやし・ひでお)

慶應義塾大学経済学部教授
同経済研究所こどもの機会均等研究センター(CREOC)センター長
株式会社ガッコム創業者・代表取締役会長

1988年東京大学大学院総合文化研究科終了、1996年シカゴ大学経済学大学院博士課程(Pd.D)。
1988年通商産業省、1995年マイアミ大学ビジネススクール経済学部客員専任講師、1996年世界銀行コンサルタントエコノミストなどを経て現職。
その間、全米経済研究所客員研究員、東大・一橋大・政策研究大学院大学等で客員。主要著書に「学力・心理・家庭背景の経済分析」(2016年。直井道生・敷島千鶴との共編著)。
教育の経済学、家族の経済学、行動経済学、経済政策を専門とし、全国の子どものサンプルを追跡する「日本子どもパネル調査」の実施を主導。
現在、経済・財政一体改革推進委員会に設置されている「経済社会の活力ワーキンググループ」の委員を務める。